友達がいないことはそんなに問題なのか?
「友達がいないなんて、きっとあの人は人格的に何か問題があるからだろう」と勝手に決めつけてレッテル貼りをする人がいる。その人のことを何ひとつ知らないくせに、である。
他にも、一人でランチを食べている人に対して「一緒に食べる友達もいないんだ。寂しい人だ」とこれまた勝手に謎の決めつけをしてマウントしたがるのもいる。外に出ないで家の中で本を読んだり、ゲームするのが好きな人に対して「暗いね〜」といじったりする人もいる。
かつて、いい歳をして独身のままの人に対しても同様な仕打ちがあった。「結婚できないなんてきっと人間性に問題があるんだろう」と。
しかし、友達の有無や未既婚や性別だけでその人の人間性や人格まで推し量れるものではない。ましてや、会話したこともないのにそういう決めつけをしてしまうのは、差別的であり非常に危険ですらある。
確かに、「友達がいない」比率はどの年代を見ても男性の方が多い(上記図)。しかし、友達の数と結婚の有無には何ひとつ相関はない。
50代で友達なしが40%近くいるが、これは生涯未婚率の28%以上であり、「結婚していても友達がいない」男性がいるということでもある。むしろ既婚者の方が友達がいない率が高いと思われる。
一見外交的な人もじつは…
大前提として、「友達がいない」ことは別に絶対悪ではない。
国内外のいろいろな調査で結論づけられていることだが、外向的な人間と内向的な人間の比率はほぼ半々である。国や民族や宗教・文化が違っても変わらない。
とはいえ、社会生活を送る上で必要に応じて内向的な人でも外向的にふるまうこともあるだろう。表面上、外向的に見えたとしても、その姿は決して本性であるとは限らない。人と対面して関わることが苦手や苦痛に感じる人間もいる。
同時に、外向的100%、内向的100%のどちらか一方に偏っている人間もいない。人間は誰もが外向的な面と内向的な面をあわせもって、時と場合と相手によって出し分けるものである。
たとえば、芸能人など、テレビカメラの前では愛想よくしゃべり、コミュ力が高い人のように見えるため、プライベートでもいつも大勢の人たちとワイワイしているというイメージがあると思うが、「お疲れ様でした」の声がかかった以降は寡黙になったり、案外休日は「一人でインドア派」という人も多い。