「うちも国公立に五名入りました! 少年院に二名、鑑別所に三名です」
教育委員会が主催する「校長連絡会」が終了すると、疲れ果てた表情をした校長たちが誘いあわせて呑みに行く(新型コロナ禍の前まではそうだった)。
そして、宴たけなわになると、決まって学校の「自慢合戦」がはじまる。まずは、進学校の校長が先陣を切って上から目線で饒舌に語りはじめる。
「本校は、東大に八名、京大に五名が現役で合格しました。さらに、難関医学部にも合格しています」「我が校も国公立大学に二桁入りました。早慶にも二桁合格です」負けじと、中堅上位校の校長が語りだす。
「本校も国公立大学に何とか五名の合格者を出しました。MARCH(明治大・青山学院大・立教大・中央大・法政大)にも二桁の合格です」「本校も、初めて国公立大学への合格者を出しました」こんな話を聞いている中堅校以下の校長はというと、無表情にお酒を呑みながら箸を進めている。話に合わせようとする気がないのだろう。
そんな雰囲気を察して、私が割って入る。
「うちも国公立に五名入りましたよ!」定時制高校の校長が何を言うか、と全員の視線が突き刺さる。
「おかげさまで、今年は例年よりも少なくて、少年院に二名、鑑別所に三名です」いったい、何が学校自慢なのかよく分からない。
入学時にそういう素質・能力をもった生徒がその学校にいるだけのことではないか。それを校長が自慢していったいどうするのか!
教育委員会から求められる「数値目標」への違和感
同業者から聞いた話だから真偽のほどはよく分からないが、ある進学校に動物が大好きな成績最上位の生徒がいたという。その生徒は、当然のごとく獣医になることを目指して勉強をしていた。ところが、校長がその生徒に、「東大を受験してもらえないか」と直談判したそうだ。この話が本当なら、誠に「ざんねんな大学受験」と言わざるを得ない。
各学校には、学校経営の数値目標の設定が教育委員会から求められている。そもそも、「学校教育に数値はなじまない」という意見もあるだろうが、私は各学校のミッションに基づいた数値目標の設定は重要だと考えている。たとえば、いわゆる進路多様校(1)や課題集中校(2)であれば、転学や退学、不登校、特別指導、進路未定といった数値は、その学校の状況を端的に表す指標となるからだ。
しかし、教育委員会から求められている数値目標には、全日制や定時制、普通高校や専門高校などといったさまざまな高校があるにもかかわらず、必須項目のなかには国公立大学やMARCHの合格者数が設定されている。
これにはさすがに違和感を覚えてしまう。
全国の進路多様校や課題集中校では毎年「ゼロ」という数値に、どのような方策をもって、いかなる数値目標を設定せよというのだろうか。
先に挙げた校長の呑み会における自慢話も、このような画一化された数値目標が影響していると言える。
教員は学校において「勝ち組」にいた
日本における教育の本流は、いつのまにか漠然とした「進学志向」へと一本化されてしまった。中学生の九九パーセントが高校へ進学し、そのほとんどが大学や専門学校への進学を夢見ている。そして、その流れに乗って目的地にたどり着くための羅針盤は、「学力」というモノトーンなモノサシで統一されている。
こうした漠然とした進学志向、学力至上の空気が覆う学校からドロップアウトした子どもたちは、いったいどのような思いでいるのだろうか。
(1)大学、専門学校、就職と、進路先が多様な学校のことで、主に専門高校や学力下位層の普通高校を指す。
(2)退学、不登校、問題行動などといった課題が多い学校のことで、主に学力下位層や定員割れの高校を指す。