それを、教員が想像するのは難しい。
なぜなら、私も含めて管理職や教員、あるいは教育関係者のほぼ全員が、進学志向、学力至上といった学校において「勝ち組」であったからだ(もちろん、レベルは別にして)。
(中略)
そして、発達障がい(Developmentaldisability:DD)や学習障がい(LearningDisability:LD)、貧困、虐待、ネグレクト(養育放棄など)、ヤングケアラー(3)など、困難な家庭環境が理由で学びからドロップアウトしてしまい、「自分を認める」という自己肯定感がもてない子どもたちが増えている。
何としても、「学び直し」や「不登校」の支援ができる高校に変えなければならない。困った生徒をとことん面倒見る―─そんな高校をつくりたい。そんな思いが、いつしか私自身のライフワークとなっていた。
(中略)
「学力」や「進学」が「元凶」に
一事が万事、今の世の中は「学力」と「学校」が一体となって生徒たちを輪切りの層のように積みあげ、その断面が社会的なステータスと固く結びついている。勘ぐれば、校長職も、学力下位の高校で「悪戦苦闘」という下積みをしたら、いずれご褒美として名門進学校への異動が待っているのかもしれない。もちろん、しくじって落ちこぼれなければ、の話ではあるが……。
いずれにせよ、生徒も教員も知らぬ間に、「学力」や「進学」という言葉に縛られている。それが生徒のドロップアウトの「元凶」と言っても過言ではないだろう。
だからこそ、進路多様校や課題集中校の生徒たちには、「学力」や「進学」とはまったく別次元の「目標」、つまり自分のよさを生かせる、社会で生き抜くための「目標」をもってもらいたい。
とはいえ、現実は厳しい。毎年、奨学金の申請時期になると、事務室の前には生徒が長蛇の列を成している。順番を待っている生徒に「どの大学(専門学校)を受験するの?」と尋ねると、多くの生徒が「まだ決まっていません」と答える。
まずは、進学ありき、奨学金ありき、なのである。
そして毎年、上級学校に合格した生徒のなかには、入学金が払えないために入学を辞退する者が必ず出てくる。さらに、正確な数は把握できていないが、大学や専門学校に進学しても、途中で退学となってしまった生徒が相当数いる。
その場合、奨学金がそのまま借金となって、その後の人生における大きな「負の財産」となってしまう。誠に「ざんねんな現実」としか言いようがない。
(3)(young carer)病気や障がいのある家族・親族の介護・面倒に忙殺されており、教育が受けられなかったり、同世代との人間関係の構築が難しい子どものこと。