(※写真はイメージです/PIXTA)

山本翼氏の著書『電車で学ぶ英会話』より一部を抜粋・再編集し、「大人の英語学習」についてみていきます。

明治維新の原動力になった…日本最初の英語教育

実は、イマージョン教育は明治時代の初期まで日本で本格的に行われていました。そのきっかけは1808年のフェートン号事件(英国の軍艦フェートン号の長崎侵入)であったとされています。

 

この翌年の1809年、徳川幕府は長崎のオランダ語通詞(当時は通訳のことを通詞と呼んでいました)に英語を学ぶよう命じました。

 

このときに通詞に英語を教えていたのはオランダ人商館員のヤン・コック・ブロンホフでした。英国に滞在経験があり英語が堪能だったブロンホフの英語はオランダ語訛りがあったものの、これが日本での英語学習の始まりとなりました。

 

その後、1848年には日本に密航してきた英国人のラナルド・マクドナルドによって初のネイティブによる英語の授業が行われ、通詞たちの語学力向上が図られたのです。

 

これが間接的ではありますが、ペリー来航からの開国、そして明治維新の原動力になったと言われています。

 

さらに1871年の岩倉使節団の欧米派遣を皮切りにネイティブの外国人教師が多数日本に招かれ、本格的なイマージョン教育が外国語学校や大学などで続々と行われました。

 

その中には、クラーク博士で有名な札幌農学校(今の北海道大学の前身)も含まれています。

 

この時代に英語教育を受けた通詞や政治家、実業家などの語学力は全体的に高いレベルを有していたため、欧米から当時の最新技術を積極的に導入できたのも頷けます。

 

英国からの蒸気機関車などの鉄道技術の輸入や技師のトレビシック兄弟の招聘も語学力がないとできない芸当ですよね。

 

イマージョン教育は大きく分けて2種類に分けられます。1つはフルイマージョンで、インターナショナルスクールのように1日の生活を全部英語で過ごす形です。

 

もう一方はパーシャル(部分)イマージョンと呼ばれ、部分的に英語で学習を進める傍ら、国語など一部の教科は日本語などの母語で学習します。割合としては英語と母語が概ね1:1になっている学校が多いです。

 

日本の学校教育法で定められた学校(学校教育法の第1条は学校種の定義を示していることから、一条校とも言います)で行われているイマージョン教育は、全てパーシャルイマージョンを使っています。

 

この他、パーシャルイマージョンの変化形として米国で広まったデュアル(双方向)イマージョンもあり、英語とスペイン語など、ヒスパニック系の子どもたちを参加させて互いの言語を学び合う取り組みもなされているそうです。

 

どちらのイマージョン教育にも共通点があり、その最大のメリットは学ぶ言語に触れる量と質の確保が同時に図れるところにあります。ただ、デメリットとして、やり過ぎると母国語能力が却って低下することもあるとの指摘がありますが、それ以上のメリットとして、言語習得が早期から見込めるとあって世界での需要は高いのです。

 

ヒントはこのメリットの部分にあります。イマージョン教育の根幹は「英語を学ぶ」のではなく、教科や生活単元学習を「英語で学ぶ」ことにあります。

次ページ五感を使って「英語で学ぶ」方法

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『電車で学ぶ英会話』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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