(※写真はイメージです/PIXTA)

児井正臣氏の著書『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』より一部を抜粋・再編集し、多摩川下流域における洪水災害についてみていきます。

多摩川下流域での洪水被害

2019年(令和1年)10月の台風19号で多摩川下流の川崎市や世田谷区、大田区で洪水被害が発生した。

 

多摩川に今の堤防ができたのは1933年(昭和8年)のことで、それ以降は1974年(昭和49年)の狛江水害があったくらいだったので、今回は50年ぶりの豪雨災害と言える。

 

地球温暖化による異常気象によるものと言われてもいるが、雨が多かった原因はともかく、今後もこのような豪雨が頻繁に起きないとは言えない。

 

多摩川は、東京湾に注ぐ一級河川の中では、勾配が比較的急で、少しの雨でもすぐに水かさの増す危ない川であり、昔から度々水害を起こしていた。

 

江戸時代になると人口増加や新田開発のために必要な水を得るために、玉川上水や多くの用水を造りこの川の水を積極的に取り入れるようになった。

 

一方治水対策としては、増水時には霞堤などで水を逃がし、洪水被害を最小限にするような工夫がなされていた。

 

霞堤とは、堤防のところどころに開口部を設け、洪水時には開口部から水に浸かっても良い土地(現在の遊水地のような土地)に一時的に水を溜め、本流の流量を減少させるとともに、住宅や田畑にはなるべく水が行かないようにし、洪水が終わると、本流に戻すという方式だ。

 

甲府盆地の信玄堤などが有名で、急流河川の治水方策として近世になってから全国に広がった方式である。

 

これに対し明治以降は、川の水を堤防外には流出させないという考え方となり、途中に切れ目のない連続した今のような堤防を造るようになった。それに伴い、かつての遊水地機能が必要でなくなり、そのような場所は放置されていた。

 

それらはかつての川の跡、すなわち旧河道などが多く、周囲に比べても土地の低いところだった。しかし人口の増加とともに、そこにも多数の住宅や工場などが建つようになった。そのような場所が、今回でも特に被害の大きかったところだ。

次ページ多摩川周辺の地帯、居住禁止とすべき?

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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