(※写真はイメージです/PIXTA)

児井正臣氏の著書『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』より一部を抜粋・再編集し、地震と東京一極集中について考えていきます。

地震大国、日本

洪水はある程度予想ができるので事前避難などを行うことによって少しでも被害を少なくすることはできるが、地震は突然やって来る。

 

またその被害も、建物や設備の崩壊だけでなく、津波や火災など広範に及び、さらに電気・ガス・通信・交通機関などのインフラが長期に使えず、復旧にかなりの日時を要することが予想される。

 

そして今、もし東京に直下型地震が発生したときの被害は想像できないくらい大きく、またさまざまなものが一極集中しているがゆえに被害がさらに大きく、復旧がより長期化するだろう。それだけでなく、日本全国や世界に及ぼす影響も計り知れない。

 

阪神淡路や東日本の地震での被害が復旧できたのは、東京が生きていたからだと思う。日本の司令塔が集中する東京が壊滅的な被害を受けたら、日本全体が死に体になるかも知れない。

 

日本列島は地球上の4つのプレートが集まっているところにあるが、このプレート同士の交わるところの南海トラフや日本海溝で発生するのが海溝型地震であり、これはある程度周期的に発生している。これとは別に一つのプレート内部で起きるのが断層型地震とか直下型地震と言われるもので、こちらも周期性はあるのだろうが海溝型に比べて解明が進んでいない。

 

日本で発生している記録に残っている大きな地震は[図表1]のようなものだが、東京周辺に関して言えば直近のものは1923年(大正12年)9月1日の関東大地震である。

 

[図表1]日本の歴史に残る大きな地震

 

マグニチュードは7.9と推定されており、都内で観測された震度は6だったが、その後現在に至るまでの100年近く、都内では震度6弱以上の地震は発生していない。関東大地震での死者行方不明者数は10万5000人以上だったが、このうち約9万2000人は火災による焼死者だった。

 

関東大地震は東京の地震というよりはむしろ神奈川県の地震であり、建物被害などは横浜の方がずっと激しく、最も揺れが激しかったのは小田原付近と言われている。

 

この地震の震源地についてはいまだに諸説あるが、相模トラフのプレート境界で発生した海溝型地震とされている。1703年(元禄16年)の元禄地震も類似のものと考えられている。

 

また関東大地震の前に発生した東京での大きな地震としては、その約70年前、幕末1855年(安政2年)の安政江戸地震がある。これは内陸の活断層によるものとされている。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災と同じタイプのものだ。

 

この地震では江戸城の櫓やぐら・門・塀・石垣など多くが崩壊し、今の中央区、台東区、墨田区、江東区あたりでは潰れた家が多く、死者は5万人とか10万人とか言われている。

 

この地震は相模トラフで起きるものに比べ規模はひとまわり小さいマグニチュード7前後と推定されているが、震源が近かったせいか、揺れなどは関東大震災よりも大きく、今だったら大変な被害が出ただろう。

次ページ不気味?100年近く発生していない東京での大地震

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『自然災害と大移住――前代未聞の防災プラン』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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