約束をするしつけ
“約束は破られるためにある”というと極端な言い方になると思いますが、一方的な約束は往々にして破棄されるものです。また、相手の思うように「約束させられた」と思うと守る気にならないでしょうし、約束で縛られるというのは、約束を破ると恐ろしいことが待っているという脅しにすぎないという考え方があります。
一見フィフティフィフティ(五分五分)の関係のようで、じつは一方的に約束を迫ることでもあります。
「もう二度と嘘はつかないと約束しよう!」という約束があったとします。そのあとに続く恐ろしいこととは「今度嘘ついたら二度とあなたの言うことは信じないからね!」「そんな子はいりません!」という脅し文句でしょう。「嘘ついたら針千本飲~ます」というのもひどい脅しですね。これも古いですか。
まず、嘘をついた理由を理解し、嘘をつかずに済む方法を見つけようとする方向性がなければ、嘘をつかずに済むようにはなりません。
話が逸れますが、高橋哲郎先生の著書『子どもの心と精神病理』に記載されている「嘘をつくための4条件」を引用します。
“嘘をつく能力が備わった” という言葉がありますが、嘘をつくためにはそれなりの能力が必要です。
その4条件とは、(1)善悪がわかっている、(2)嘘がばれたらどうなるのか予測できている、(3)誰に責任があるのかわかっている、(4)親をだませるかもしれないと思っている、です。
つまり、嘘をつくようになったということは、子どもが成長して嘘をつく能力が備わってきたということを意味し、まず子どもの成長を喜ぶべきことなのです。
ところが子どもが初めて嘘をついたとき、喜ぶ親はいないでしょう。じつは、嘘をつく能力は親から離れていく能力に関係しています。
「だませる」という思いは、親は何でもお見通しではなく、完璧な存在ではないということがわかってくることに意味があります。親に対する不全感をもつことが自立を促すエネルギーになるからです。
何もかも見通せる完璧な親なんていないでしょうが、もし何もかもお見通しで、どんなときにも頼りになる親であったとすれば、そこから離れていくためには相当な覚悟が必要になるでしょう。いつまでも頼っていても仕方ないという思いが子どもに自立の方向性とエネルギーを与えます。