一度はまったが最後…“離脱不能の成年後見”
「こんなはずではなかった。もうやめたい」という人はたくさんいる。
そもそも、成年後見を申立てる理由の8割強は、「本人の預貯金を(療養看護費に充てるため)おろしたい」というピンポイント(その時限り)な理由からだ。当てが外れたと思っても無理はない。
それにしても「本人の預貯金をおろす」だけのために成年後見人の選任を申し立て、数百万円もかかるとは、想像もできなかったのでは?
しかし、成年後見制度から”離脱する”ことはできない。成年後見人に家族が不信感をもって解任したくても、家庭裁判所はよほどの不正がなければ解任に応じない。運よく解任できたとしても、次の後見人を家裁が選任してくるだけだ。
この点、家裁の神経はどうなっているのだ、と思うが、彼らから「変な人を後見人に選んで申し訳なかった」なんて言葉は聞いたことがない。
しかも、成年後見人は本人がなくなるまでついてくる(人は代わっても)。“足抜けのできないサービス”がどこの世界にあるのかと問いたいが、法曹界は沈黙だ。
【注】最高裁判所が発表する令和3年の「成年後見事件の概況」では、主な申立て動機中「預貯金等の管理・解約」が3万5,744人。事件総数は3万9,313人だから、10人に9人超がこの理由を抱えていたということになる。
成年後見は最後のよりどころに使え
とはいえ、成年後見制度の存在意義はあるはずだ(批判的に書いている私だって、一定の存在意義は認めている)。
例えば、家族や親族が本人の看護から財産管理までやっているような場合(たった1人で行っている場合も多い)、長期になれば疲労困憊するだろう。しかし、家族には逃げ場がない。老々介護も日常的になっている昨今である。
私は、「最後のよりどころとして『成年後見』という制度がありますよ」と、よくお客さまに話しをする。家族が責任に押しつぶされそうになった時には、この制度に“本人を預ける”ことがあってもいいと思うからだ。
むしろ、そういうときのためにこの成年後見制度はあるのだ、と私は思っている。(士業を食わせるためであったり、家庭裁判所が財産を守る責任と業務繁多に辟易して、弁護士や司法書士に一端を担わせるために在るのでは決してない!)
適正報酬でしっかり仕事をしてほしい
確かに成年後見の生涯コストが1,000万円を超えることがあるというのは衝撃だ。しかし介護費用に月20万円かかることは珍しくない。10年介護が続けば2,400万円になる。
これほど高額な介護費用でも、日夜、本人をみてくれ下の世話もし、褥瘡(じょくそう)一つ作らない病院・施設に対しては、感謝の言葉しかない(私自身、実際に母や父の介護体験として12年間感じてきた思いである)。
要は金額ではない、その報酬金額でやってくれることの中身だ。ほとんど自動送金するだけの“仕事”(?)に月平均数万円、生涯では数百万、1,000万円も払わされることが是なのか、非なのか。コストパフォーマンスが悪すぎないか。
これが当たり前の庶民の感覚であろう。法曹界にいる者たちの、誰も感じていないであろう生活者の痛みである。適正な報酬で仕事をしてほしい。報酬は家裁が審判する。後見人の仕事ぶりをしっかり見て報酬額を決定しているようには見えない。忙しい裁判官や調査官がいちいち精査していられない事情があるのかもしれない。しかし本人の気持ちを代弁する家族の多くは、「これで報酬分の仕事か⁉」と悔しい思いをしているのではないか。
石川 秀樹
静岡県家族信託協会 行政書士