コミュニケーション力は訓練しないと鍛えられない
私たちがこの社会でより濃密な人生を送ろうとすれば、相互に密なコミュニケーションを構築し、それをつないでいく必要が出てきます。
たとえると、コミュニケーションはいわば伝言ゲームみたいなものだといえるでしょう。一見、特別な技術など必要なさそうで、人間なら誰でもできそうなのですが、実際にやってみると難しいのです。
伝言ゲームを何回か試してみるとわかると思いますが、5個ぐらいの要素を入れて、4~5人経過すると、必ず1つや2つの要素は抜け落ちてしまいます。
ひどい場合には3つ以上も抜け落ちてしまうケースも出てきます。つまり、私たちがもともと持っている伝言ゲームの能力はそれほど高いものではなく、鍛えないと身につかないものなのです。
仮に「コミュニケーション部」という組織をつくってみたとしましょう。そこで私が部員たちに説明をしたとします。
「きちんとしたコミュニケーションを成立させるには、相手の目を見て、微笑み、うなずくこと。そして相槌を打ちながら、相手にヘソを向けてちゃんと質問を考えながら、同時にコメントも用意しながら、聞くんですよ」と言うわけです。
しかし、次の瞬間には、もうヘソを向けるのを忘れている、もううなずくのを忘れている、質問は考えていない……。みんな言われたことをいちおう耳では聞いていたにもかかわらず、コミュニケーションについては素人なので、実際にはなかなかできないのです。
それは運動部や音楽部の部活で、なかなか先輩の言うとおりにできないのと同じです。コミュニケーション部に入った新入生というのは、ほとんど微笑むこともできないし、相槌も打てない。あるいはメモもとれないし、要約もできません。
そもそも、ほとんどの人はなんとなく社会人をやってきただけで、コミュニケーションのトレーニングなんて受けたことはありません。ですから、それも当然のことでしょう。
だからこそ、コミュニケーションの技術はこうなっているのだと、全体を学んだうえで、一つひとつの要素に分けて、練習して鍛えていく必要があるのです。
そういう意味では、コミュニケーションのトレーニングを積むのは、たとえばテニスのトレーニングを積むのに似ています。
テニスの基本はストロークとサーブです。ストロークにはフォアハンドとバックハンドがあり、サーブにはファーストとセカンドがあり、回転のかけ方を変えます。
それらのテクニックの一つひとつを細分化して、一つずつ技術を練習して磨いていかなければレベルアップしていくことはできません。それらの技術をトータルに高めてこそ、初めて勝利に近づくことができるのです。
まずはどれか一つ、突出した技術を身に着けるのがコミュニケーション力底上げの近道
なお、コミュニケーションの面白い特性として、一つの技術が突き抜けて上達すると、7難を隠すことがあります。
たとえば、会話中に微笑むということを技として身につけただけで、えも言われぬ、その人らしさが出てきたりします。そうすれば、もし相槌を打つのを忘れていたとしても、たいした減点にはならないでしょう。
ですから、細部の技術を全部身につけなければコミュニケーション力が低いままだというわけではないのです。なにか一つ、自分の得意なところを伸ばして突破するだけでも、絶大な効果が出てきます。
まずはどれか一つでいいのです。技術が一つ身につくだけでガラリと風景が変わってくるはずです。
もちろん、全部の技術を兼ね備えるのが理想ではあります。しかし、突然すべてが上達することはありません。
まず自分に必要なものはなにか、そして自分の得意なものはなにかを見定め、それから一つずつ身につけるようにしていただきたいと思います。