豊臣政権が一代で潰えた理由
しかし、栄光は長くは続きませんでした。小田原を制圧し、天下を統一した秀吉は、その後朝鮮へ出兵します。なぜ朝鮮出兵に乗り出したか、理由は判然としません。
秀吉の死によってこの大事業は中止を余儀なくされましたが、5年におよぶこの戦いによって豊臣家は経済的に疲弊しました。さらに、現地で戦った武士たちと内地にいた官僚グループとのあいだで内部分裂が起きます。これらが徳川方に有利に働き、その後の滅亡へとつながっていきます。
とはいえ、朝鮮出兵さえなければ豊臣家は一代で潰えなかったのかというと、そうではないでしょう。家康がいかに強大といえど、所領は関東250万石に過ぎません。豊臣家の当時の勢力から考えれば、本来は微小な規模のはずです。では、なぜ豊臣家は滅びたのでしょうか。
前述のとおり、秀吉は部下への利害の調整とその人柄で組織をつくっていました。朝鮮出兵が行われたか決定的な理由はわかっていませんが、有力な説に、部下に与える土地を得るためというものがあります。この説が正しいとすれば、朝鮮出兵が失敗に終わったとき、豊臣家と家臣をつなぐものの1つが失われたのです。そして、秀吉が亡くなったことで、秀吉の人柄に惚れて仕官していた者たちが豊臣家に仕える理由がなくなりました。
つまり、豊臣家が一代で潰えた理由はこの「秀吉の死」です。物質的な利害と主君のカリスマ性によって成り立っていた組織は、その主君の死と共に終わりを迎えたのです。
豊臣家が潰えた理由を現代の企業に置き換えてみると…
改めて、豊臣家が一代で潰えた理由をまとめます。
2. カリスマ性を持ったトップの死により部下が一斉に離れていった
ということになります。上記の1と2を現代の企業に置き換えて考えてみましょう。
1では、人材の採用や既存社員をつなぎ留めるための材料として、業界水準よりも高い給与や充実した福利厚生を設定している組織は、それを維持することが非常に難しいといえるでしょう。
2であれば、トップの人間的な性質や魅力がこの会社で働いている理由である社員が多い組織、「なにをやるかではなく、誰とやるかだ」のようなフレーズが社内に響き渡っている組織は長続きしないということです。
物質的なもので利害関係を調整しようとすると、それは必ずコストになります。いつか限界が訪れますので、できればその利害関係の中身は限界がないものにしたいところです。たとえば、個人の成長がそれに該当します。個人の成長は、個人にとってはもちろん組織にとっても望むところです。しかも、成長に限界はありません。「成長がしたくてこの組織を選んでいる」という人とは、長く良好な関係が築けそうです。
そして、トップやリーダーの人間性が、彼らがその組織で頑張る理由になってはいけません。組織のなかにおいて、本来それぞれのメンバーが役割を果たすことに理由は必要ないからです。メンバーの動きが悪いときに、「自分の魅力が足りないからだ」と考えるのではなく、どうすれば主体的な動きが出る仕組みがつくれるかを考えましょう。
教育も重要です。どうしても我々は「モチベーションが」とか、「やる気が出ない」となってしまいがちです。ところが人類は太古の昔から、まず狩りをし、そこで手に入れた獲物を食べていました。食べたあとに狩りをするわけではないのです。狩りをしなければ食べるものがないのは当たり前です。「お腹一杯食べさせてくれないから狩りに行く気にならない」という人だらけの組織が永続できるはずがありません。ですから、そういった部下を見かけたときは、どうか心を鬼にして、正しい仕組みを教えてあげてください。
過去の偉人の成功や失敗から我々が学び取ることができるものはたくさんあります。天下を取ったことを成功と見なすか、一代で潰えたことを失敗と捉えるかで学ぶべき点は違ってきますが、現状のご自身の悩みと照らして、吸収できるものは吸収していきましょう。
有手 啓太
株式会社識学
西日本営業部 部長/上席コンサルタント
《最新のDX動向・人気記事・セミナー情報をお届け!》
≫≫≫DXナビ メルマガ登録はこちら