感情そのものが「同調圧力」!?
このプールでの例のように、自分が「同調圧力がすごい!」と思っていたのは、実は自分の心象風景だったのでした。
自分の中にあった「人が並んで睨んでいたら、同調圧力を感じて不安定になって当然」という常識が、勝手に心に不安定さをつくり出していたのです。
それがないから、私の友達はうろたえませんでした。
そして、私自身も、「同調圧力がすごい!」というのが、自分の中にあった常識からつくられたものであって、本当の私は「何も感じていない」と気づいてしまえば、心は静かなことに気がついたのです。
この自分の中の常識というものは、厄介なもので、私たちの感じ方や受けとり方をゆがめる力があります。
たとえば、「病気になった際は弱々しく振る舞うべき」とか、「相手から怒られたら動揺するべき」というような常識をみなさんも無意識に持っていないでしょうか?
でも、これはただの自分の中の常識にすぎません。その証拠に、今度誰かから怒られたときに「動揺する必要はない」と唱えてみてください。おそらく、これまで動揺していた人でも、意外とケロッとしていられたりするものです。
つまり、何が言いたいかというと、私たちは常識めいたものに支配され、「Aという事象に対してはBという感情を感じて当然」として、それらしく振る舞わされていただけで「本当は何も感じていない」というのが本音だったりするということです。
ですから、たとえば「パートナーから振られたら悲しむべき」というのも、見えない同調圧力によってつくられた感情で「本当は何も感じていない」だったりします。
「ショックを受けると思ったら、意外と悲しくなかった!」という人がいるのも、そういうことです。
そう。常識で「悲しまなければ」とか「寂しがらなきゃ」となるから、泣いたり、苦しんでいる振りをしていましたが、それ自体が実は「こう感じて当然」という同調圧力だったりするんです。