(※写真はイメージです/PIXTA)

社会生活において「同調圧力」と無縁でいられる人はほとんどいません。他者からの同調圧力に苦しむ人が多いのはもちろん、自分自身、無意識のうちに同調圧力に加担してしまうことさえあります。本連載では、心理カウンセラーの大嶋信頼氏が、著書『誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法』より、同調圧力の正体と、上手に受け流すコツや考え方について解説します。

「強要されている」という感覚の落とし穴

他方、その海外のニュースを見て「ワクチンを打ったほうがいいでしょ?」と“子ども”状態で思っていた私であっても、周りの人から「(もちろん)ワクチン接種しますよね?」というトーンで話しかけられると、「なんだか同調圧力を感じて嫌だな〜」と思ってしまうことがありました。

 

でも、そうした一言に対して、「強要されるのは嫌だな〜」に囚われてモヤモヤと反応することの陰にも、実は“子ども”的な思考が隠れています。

 

少し状況を別のことに置き換えて説明しましょう。

 

みなさんは、子どもの頃に親から「にんじんは体にいいんだから食べなさい!」というように、野菜などを強要されて余計に食べたくなくなったことはないでしょうか。

 

これも一つの同調圧力なわけですが、子どもはまだ自立して責任をとることが難しい存在なので、親からの「にんじんは体にいいんだから食べなさい!」という圧をいったん受け入れるしかなく、そのうえで真正面から「嫌なものは嫌〜!」と駄々をこねるしかなかったのです。

 

一方、大人は親や第三者から「にんじんは体にいいんだから食べなさい!」と言われたときに、子どもの頃と同じように真に受ける必要があるでしょうか?

 

毅然(きぜん)として自分の心の中で、「この年齢でそんなことを言われる筋合いはない」「自分で判断します」と、食べるか食べないかは自分で決められるはずです。

 

にもかかわらず、ワクチンに対してはそういった自立した“大人”の態度をとれないのは、まさに「にんじんを食べなさい」という同調圧力に流されてから真正面から反応する“子ども”の状態だからでしょう。

 

同調圧力をかけられてそれに流されてしまうと、“大人”のように自分で責任をとったり、思考を働かせたりする必要がなくなって、“子ども”の論理のままでいられます。

 

だから、「嫌なものは嫌〜!」になってしまう。

 

「私は、にんじんは食べません」という能動的な思考回路ではなく、「にんじんを食べることを強要されて嫌だな〜」という被害者の思考回路になってしまうのです。

 

このような「強要されている」という感覚は、実は“大人”としての判断や責任をとっていないことの表われだったりします。

 

ですから、その感覚が広がると、ますます“子ども化”してしまう。

 

[図表1]同調圧力に対する思考の切り替え

 

気づけば「同調圧力反対!」という同調圧力に、自分が流されていたという皮肉のような状況にもなっていたりするのです。

 

「強要されるのは嫌〜!」とか「強要するのは間違っている!」と言うことは、一見自己主張ができているように思えるでしょう。

 

でもそう感じたときこそ、「自分はちゃんと責任を持って考えている?」と問いかけてみてください。

 

自分で自分を振り返ったときに「あれ? “大人”として考えていないかも」とハッとすることが多いはずです。

 

“大人”になって考えたときに、ありとあらゆる人の立場を理解して、そして、自分がどう責任を負うべきかをちゃんと考えられる。

 

その責任を負うことを拒否して「〇〇されるのは嫌だ」「××が悪い」と誰かに責任を求めてしまうことは“子ども”ということになるわけです。

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誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法

誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法

大嶋 信頼

祥伝社

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