それは、「目立つか否か」による
キリのいい数字に釣られて、消費税が抜かれた価格表示にも釣られる。それでも、明らかに安い商品はNGだなんて、どうにも非合理な世界でのビジネスは難しい様子です。
でも結局、大本に戻るとどの消費者も、“見たものがすべて”で、しっかり計算してくれないわけです。あるいは見えていても気に留めないのか…。
私事で恐縮ですが、以前に高級焼肉店で食事したとき、近所のコンビニエンスストアでは1000円ほどで買える焼酎のボトルがなんと3980円もしました(しっかり価格は刻んでありました)。それより安いお酒がないので、しかたなくそれを頼んだ思い出があります。
でも、この価格で置かれていたということは、私以外の人もそれを頼むということですよね。コンビニか高級焼肉店か、お店が違えば消費者が気にすることも違うということでしょうか。
消費者が心に何を思い浮かべていて、何を判断軸にしているかを表す概念として、行動経済学では「セイリアンス」(顕著性の意)という用語が注目されています。
要は、目立っているものにヒトの認知が吸い寄せられるということです。
重要な点は、注目している事柄についてはなんでもかんでも重く受け止めて評価するのに、意識の外にある事柄についてはついつい軽く受け流して評価してしまう傾向があることです。
たとえば、大きな地震や台風の後には非常時への備えをしていたのに今はあまりしていない、ということもありますよね。
これは何かのリスクや確率を見積もるとき、利用可能で印象に残りやすい記憶に頼ってしまっていて、記憶が鮮明なうちはその確率を過大評価しているということです。
一方、記憶が薄れてしまえばその確率は過大評価されなくなるどころか、場合によっては0と差がないように過小評価されてしまいます。
前回のプロスペクト理論では、「ヒトは微小な確率を過大に評価してしまう」という話をお伝えしました。ですが実際に、なんでもかんでも過大に評価しているか、というとそうでもない、というわけです。
宝くじの例についても考えてみましょう。以前の記事で、多くの人が宝くじを購入する傾向にあると紹介しました。
しかし、おそらく実際には「0.000005%」という1等確率を過大に評価しているわけではなく、「1億円」とか「7億円」というほうに目を奪われていないでしょうか。結果、リスクを平然と受け入れたと考えられるのです。
仮に賞金が1万円だとしたら、賞金の期待値とクジの購入額を同じように調整しても、ここまでの人気にはならないようにも思えます。