「自分がどう見られるか」より「相手がどういう気持ちか」を考える
色気は、主観ではなく客観から生まれます。
他者承認は、実際は客観ではありません。色気のない人が一番気にしているのは、「自分がどう見られるか」です。
色気のある人は、まず、「相手が今どういう気持ちでいるか」を考えます。
両者は、似ているようで違います。
「自分も、相手が今どういう気持ちで自分を見ているか考えています」と言う人は、その時点で主観へ戻っています。
色気のある人は、相手がどういう気持ちでいるかを、自分とは関係なく考えられるのです。
自分がどう見られるかを気にしている人は、常に言い訳をします。言い訳を始めると、その人に色気はなくなります。
電車に高齢者が乗ってきた時に、
「ここで席を譲ったら偽善者だと思われないだろうか」
と思うのは、自分のことを考えています。
「以前、席を譲った時に、『そんな年寄りではない』と怒られたことがあって」
と言い訳する人も、自分のことを考えています。
それより素直に
「今、座らせてあげたい」「しんどいだろうな」
と、相手の気持ちを優先することが色気になるのです。
説明するより、物語を語る。
色気は、妙なウンチクを言わないことから生まれます。
ワインのウンチクをさんざん聞かされるのはしんどい。「このボルドーがどんなにすばらしいか」という話は、全部説明です。美術館に行っても、説明が多いのです。
色気のある人は、物語を語ります。説明は、事前にネットなどで調べてきたものです。その話は、情報化社会ではみんなが知っている情報です。色気のない人のウンチク話は、ネタ元がバレます。「これ、ネットで出ていた」「あのテレビでやっていた」というネタばかりです。
本当に色気のある人は、自分の体験談を語ります。それはネットに出ていないので、調べようがありません。
そこには物語があります。
銀座の一流レストラン・エスキス支配人の若林英司さんの「ボルドーには大きい川があって、橋が二つしかないんです」という話は、ネットで調べても出ていません。その人が現地に行ったからわかるのです。
色気のない人は、絵・ワイン・クラシックの説明を「自分はこんなに知っている」という自慢に持っていきます。