お昼にカップやきそばが食べたい!
ランチタイムになりました
現在時刻 12:00:00
露地くん「午前の仕事終わり! あ~、腹へった。なんかソース味ガッツリでウマそうなの、むさぼるように食べたいな~。」
井ノ辺さん「ソース味って、聞いただけでお腹すいた! ソース味のおいしいのがいい♪」
出来内くん「そうですね。自分もソース味のおいしいのが食べたくなりました。カップやきそば買い置きがありますよ。」
露地くん「お~、それだ! そもそもそれってどこのヤツ?」
出来内くん「『ほくほくやきそば』って書いてあります。プライベートブランドですね。自分、昨日食べました。」
露地くん「どう、おいしかった?」
出来内くん「ん~、いまいちですね。やっぱり有名ブランドには勝てませんよ。」
露地くん「やっぱここはペヤングでしょ! なぜなら歴史と安定感が違うからね~。」
井ノ辺さん「揚げ玉ファイヤーのやきそばUSOも捨てがたいわよ。」
露地くん「いいねそれ! ってことはマヨレーザーの三平ちゃんもありか。マヨネーズとソースが合うって発見だよね~。それと製麺方法がさぁ、……」
出来内くん「だからほくほくやきそばがあるでしょ? あるんだから我慢しましょうよ。常識でしょ。」
露地くん・井ノ辺さん「も~、しらけるな~」
■すでに論理的思考は発動された
3人がランチタイムでのカップやきそばの話をしていますね。すでに論理的思考が発動されたことにお気づきでしょうか?
[ソース味の何かおいしいのが食べたい][おいしくないけどカップやきそばはすでに買い置きがある]
買い置きがあるならそれを食べればいいのでは、という出来内くんの意見はともすると論理的なような気がします。だって、すでに買い置きがあるんですから。しかしこれが論理的とは言い切れないのです。
なぜか?
「おいしいのがいい」という希望を満たしていないからです。全員「おいしいソース味の何か」が食べたいのです。
露地くんは「そもそも、買い置きのカップやきそばはおいしいのか?」を問うことで、「買い置きがすでにあるからいいじゃん」という押し通す力に対抗したのです。
これが論理的思考の入り口です。おいしさも妥協しない最適解を探ろうとしているのです。そうすることで、議論などの落とし所を見つけられるのです。
このように、論理的思考はそもそも論を使って、押し通す力に対抗していくところから始まります。
対照的に出来内くんは、現状だけで解決させようする妥協案を「常識でしょ」と言いながら押し通そうとしています。
ここが露地くんと出来内くんの決定的な違いなのです。
この発想の違いがあるがために、二者ではまったく異なる案が出てくるのです。
露地くん「おいしいソース味の何かが食べたい」の最適解を追求していく姿勢。
出来内くん「すでに買い置きがあるのだから我慢して食べればいい」という妥協する姿勢。
あなただったらどちらですか?
さあ、ここを紐解いていきましょう。