そしてペヤングやきそばへ
■おいしいカップやきそば
3つから絞り込め!
現在時刻 12:03:30
露地くん「じゃあカップやきそばに決まりだね。ほくほくやきそばは却下するよ。おいしくないからね。」
井ノ辺さん「OK ~。3つ残ったけどどれにするかみんなで決めましょうよ。出来内くんも参加してね。」
出来内くん「ねえ、いい加減にしてよ。お昼休み終わっちゃうでしょ。」
露地くん「出来内くん、何言ってるのさ? ぼくが『あ~、腹へった』って言ってから4分しか経ってないよ。時計見てよ。」
現在時刻 12:04
出来内くん「わかったよ。早く決めてよ。」
井ノ辺さん「私の考え言っていい? えっと三平ちゃんはね~……」
露地くん「ペヤング」!
井ノ辺さん「露地くん、それぜんぜん論理的じゃない……」
露地くん「ペヤング」
井ノ辺さん・出来内くん「……」
■「ペヤング」に決定!
論理的な露地くんから、まさかの鶴の一声。
これは論理的な判断と言えるのでしょうか?
露地くんは議論を放棄してしまったのでしょうか?
最終候補に残った、ペヤング、USO、三平ちゃん、
3つのうちどれにするのか議論の余地はまだあるのでしょうか?
ここで大事なのは「やきそば」の前提はたわいもない「今日のランチ」だということです。「避難所の食事」でもなければ「病院の献立」でもないのです。
この「たわいもなさ」においては3つとも条件を満たしており、もはやこれ以上議論の必要のないところまで絞ることができたのです。
「でも、ペヤング、USO、三平ちゃんって、答えが3つになっちゃいますよ? 論理的思考で追求すると必ず答えは1つなんですよね? これはどう説明するの?」
はい、3つのうちどれにするのか、さらに議論しようと思えばできますが、もうその必要はありません。十分論理的に議論したのですから。
「これ以上議論しても仕方ない」と「これ以上議論の必要はない」はまったく異なります。このケースは後者であり、「ペヤングと同等においしいカップやきそば3種類」という1つの答えに達したのです。露地くんはこれを十分に理解しています。
そうなれば、あとは露地くんの気分や好みです。
「はい、じゃあぼくの好みでペヤングで決まり!」
これは論理的な判断なのです。