「時間」とは何か?
正しい「時間」管理の枠組みを得るために、本章ではここから「『時間』とは何か?」という根本的な疑問を掘り下げてみます。正しいタイムマネジメントへの道筋をつけるには、「時間」の正体を見極めるしかありません。
そんな回り道をせず、すぐに答えを知りたい人もいるでしょうが、それでは問題は解決されません。なぜなら大半の人々が「時間」をうまく使えないのは、そもそも私たちが持つ「時間」の理解が不十分だからです。
- 「時間」の流れとはどのような現象なのか?
- 人間は「時間」をどうやって把握しているのか?
- “「時間」を効率よく使う〟とはいかなる行為なのか?
このような根本の謎があいまいなまま手を打とうとするのは、なんの検査も行わずに病気の治療法を考えるようなもの。どのような病においても、まずは原因がどこにあるのかを確かめねば話が始まりません。
それでは、「時間」の謎を考えるために、再びアウグスティヌスの疑問にもどりましょう。すなわち、「私たちはなぜ『時間』を体験できるのか?」という問題です。
私たちは日ごろから時の流れを実感しており、「時計を見たらもう昼だった」や「カレンダーによれば今年はあと2ヵ月だ」といった客観的な指標にもとづく体験はもちろん、「『時間』は過去から未来に向かって進む」「過ぎた『時間』は二度ともどらない」「今年は1年の進み方が速い」などの主観的な体験を重ねながら毎日を送り、そこに疑問を持つことはありません。
どの感覚もあまりに日常的すぎるため、あえて不思議がる気持ちもわかないはずです。が、考えてみると不思議ではないでしょうか?
物理的に存在しない「時間」を人が感知できる不思議
私たちが体験する時の流れには、視覚、聴覚、触覚などとは異なり、対応する専用の感覚器官がありません。
物を見るための眼、音を聞くための耳、触れたものを感知するための皮膚といったように、「時間」を味わうために備わった特別な感覚センサーなど、人体の内にも外にも存在しないのです。
この現象をたとえるならば、真っ暗な部屋の中でも室内の様子を隅々まで見わたすことができ、真空の宇宙空間でも音楽を聞けるようなもの。なんのセンサーも持たないにもかかわらず、誰もが「時間」の流れを感じ取れるのだから、アウグスティヌスが悩むのも当然でしょう。
まさに謎というほかありませんが、専用の受容器なしで存在を感じ取れるという事実からまずわかるのは、人間が感じる「時間」とは、決して物理的な性質を持った存在ではないという点です。
ここには「光の粒子の移動」や「空気の圧力変化」といった実体があるわけではなく、それなのに誰もが時の流れを当然のものとして扱っています。「時間」粒子のような物質でも見つかってくれれば問題はすぐ解決するのですが、もちろんそんなものも存在しません。
それでは、私たちが日常で当たり前のように体験する「時間」とは、いったい何を感知しているのでしょうか?
鈴木 祐
科学ジャーナリスト