現代人を襲う、焦燥感の正体
前章では効率と生産性のデメリットを考え、そこからいったん距離を置く方法を見てみました。どちらも現代人の忙しさに強く影響するイデオロギーであり、時間不足の根本を治療するには欠かせない視点です。
しかし、根本治療を行うにあたり、“最大の難敵”とも呼ぶべき問題点がもうひとつ存在します。
おそらく、あなたは「時間の流れ」について、次の感覚を持っているのではないでしょうか?
過去から未来まではつねに一定のペースでまっすぐ進み、いったん過ぎ去った時間は二度ともどらない―。
当たり前だと思った方は多いでしょう。時間が過去から未来に向かって進むのは疑いようがない事実であり、あまねく現代人に共通する認識のはずです。
ところが、実はこのような時間の捉え方は、私たちの感覚に悪影響を及ぼします。「時間は未来へ一直線に進む」という認識があなたにプレッシャーを与え、つねに何かに急かされるような感覚の源になるのです。
突拍子もない話のようですが、(中略)そもそもあなたが感じる“時の流れ”は、私たちの脳が世界の変化を解釈する方法のひとつに過ぎません。となれば、時間のとらえ方にも複数のバリエーションが存在し、それが私たちの世界観を左右してもおかしくはないはずです。
時は不可逆的ではなく循環すると考える狩猟民族サン人
その代表例がカラハリ砂漠に住むサン人で、彼らはいまも昔ながらの狩猟採集生活を送るだけでなく、私たちとはまったく異なる“時間”を生きていることで知られます。
通常、先進国の時間像は過去から未来に向かって一直線に進むのに対し、サン人には似たような認識が存在せず、彼らにとって世界の変化は「一定の周期でくり返すもの」として体感されます。
あなたの友人に子供が生まれたとしましょう。この状況を他人に伝える際、先進国の人間であれば「友人が子供を授かった」などと表現するでしょうが、サン人の場合は違います。
彼らの時間感覚では、同じ過去が何度もくり返されるのが普通であり、それゆえに「友人に子供が現れる現象がまた起きた」といった表現になるのです。
さらに別のケースでは、サン人に「祖父の名前は?」と尋ねても、たいていは「知らない」との答えが返ってきます。彼らにとっての祖父とは、あくまで「家族の中に再び現れた高齢者」のような認識でしかなく、“名前”のような固有性に注意を払う必要を感じないからです。
直線的な時間に慣れた私たちには理解しづらい感覚ですが、時の流れを周期的にとらえる見方は珍しいものではありません。
いくつか例を挙げると、バリ島の先住民であるバリアガは、西暦のほかにウク暦と呼ばれるカレンダーを使い、10種類のサイクルがからみあった複雑なパターンで月日の流れを表現します。
そのため、バリ島に西暦の考え方が根づくまでは、自分の生年月日や年齢すらわからない住民も少なくありませんでした。
同じように、ヒンドゥー教の文化圏では、創造神の覚醒と睡眠のサイクルに従って時間が円環状にくり返すと考え、東洋医学などでよく見る太極図も、時の流れを陰と陽の循環として象徴化します。
その他にも、万物の変化を“愛と憎しみのサイクル”ととらえたギリシャの思想家エンペドクレスや、世の移り変わりを複数の神が一定の周期で現れる場だと考えたアステカ人など、時間を「循環するもの」だと考えた文化は数えきれません。
そもそも、いま私たちが使う直線的なカレンダーのシステムが一般化したのはここ5,000年の話ですから、人類史のおよそ95%は「循環する時間」のほうが普通だったとも言えるでしょう。