遺言書を書くきっかけとなった息子の一言
初めて司法書士の先生の事務所に行ったとき、私はとにかく怒っていました。
怒りの原因は長男の太一です。八〇歳を超えた自分と五〇代半ばの長男との親子喧嘩だと言えば、世間の人は笑うかもしれません。娘には「お父さん、血圧が上がるだけだよ」とたしなめられました。
それでも、我慢できないことがあるのです。
太一が社長を務めている会社は、もともとは私が起こしました。二〇年以上前に社長の座を譲っているといっても、会社で使っている機材は私が借金をして購入し、私の代で返済を済ませたものばかりなのです。
太一が結婚をして新居を構えたときだって、お祝いのつもりで購入資金を全額出しました。それなのに、あの言いぐさはなんなのでしょう。
「親父とは親子の縁を切りたい」
私と揉めるたび、太一はそう口にするのです。悔しくて悔しくて、もう五〇年以上続けている日記には毎日のように「悔しい」という言葉を綴っていました。
「あんなやつに遺産は残してやらん!」
先生に会うなり、私は開口一番そう伝えました。
私が先生を知ったのは、近くの区民会館で開催された遺言書セミナーでした。そのときは自分が遺言書を書く日が来るなんて思ってもいませんでした。ただ、友人に誘われて、趣味の将棋クラブのあとに立ち寄っただけだったのです。
豊かな口ひげを蓄えた先生は四〇代に見えますが、本当はもっと若いのかもしれません。丸顔の先生が優しい口調で話す講演はとても面白く、その日は講演を聞いただけで満足でした。
それが、太一との言い争いを続けるうちに、太一には遺産を残したくないという思いが強くなり、気付けば先生に連絡を取り、事務所まで足を運んでいたというわけです。
「とにかくお話を伺いましょう」
そう言ってくれた先生に、昨年、妻が脳梗塞で倒れて今も入院していること、相続について「私には何も残してくれなくても平気だよ」と言ってくれる娘のためにいくばくかの資産は残してやりたいことを伝え、何よりも太一に対するこれまでの怒りの原因を話しました。
自分にもしものことがあったとき、父親と縁を切りたいと言うような冷たい太一が、妻や妹のために金を使うとは考えられなかったのです。
その間、先生は「それは大変でしたね」「さぞお腹立ちでしょう」と、相槌を打ってくれるものの、遺言書を作ろうとはしませんでした。
「それではまた、ご家族のことをお話しにいらしてください」
その日は、それだけで帰されました。先生は私が持っている土地の話も、金融資産の話も一切聞いてこなかったのです。なんだか拍子抜けしましたが、これまでに遺言書なんて作ったことがありませんから、こんなものなのかもしれないな、と思っただけでした。