先生が家族の話を聞きたがっていたワケ
それでも、そんなことが二度三度と続くと「なんだか不思議な先生だな」と、思うようになっていきました。
先生は、とにかく家族の話を聞きたがるのです。記憶がはっきりしないときでも「よく思い出してください」「何かあるはずです」と、無理矢理にでも思い出させようとするのです。
あるとき、太一の趣味について聞かれました。はっきりは知らないが、アウトドアが趣味だと言っていた気がすると答えると、先生は「ご長男はどうしてアウトドアが趣味になったんでしょう。きっかけはありますか?」と、聞いてきました。
そんなことはわかりません。でも、記憶を手繰ると子どもたちが小さいとき、よくキャンプやバーベキューに連れて行ったことを思い出したのです。
「その経験があるから、今、ご長男はアウトドアが趣味なんですね」
別の日には、太一の好物について聞かれました。そんなことを聞いてみたことはありませんが、太一はどこに行ってもよくカレーを食べています。
「ご長男は小さいときからカレーが好きだったんですか?」
そういえば、幼い太一は私が作ったカレーを「世界一おいしい」と言って食べていました。先生に聞かれるまま答えていただけなのに、気がつけば、自分が何をどのように感じ、どんなことを大切にしているのかが見えてきました。
「ご長男に遺産が渡ったとき、病気の奥様や娘さんにお金を使わないというのは心配ですね」
最初に自分が話したことなのに、先生に言われて、なぜかカチンときました。
「あいつはそんなやつじゃないよ」
思わずそう答えていました。太一にも父親思いの優しい一面はあるのです。
二〇年前、私に病気が見つかり長期入院をしました。そのとき、太一は勤めていた会社を辞め、「親父の会社は俺が守るから」と、言ってくれたのでした。頼もしくて嬉しくて、我が息子をとても誇らしく感じました。
私は、あのとき感じた頼もしさと嬉しさをすっかり忘れていたのです。
「どうですか? 気持ちの整理はつきましたか?」
そう言われて気がつきました。先生はすべてお見通しだったのです。怒りにまかせて遺言を書けばきっと後悔することになる。私にそんな思いをさせないよう、先生は丁寧に家族の話を聞いてくれていたのです。
その後、私は先生と相談しながら、残された家族全員が幸せでいられるような遺言書を作成しました。家族への思いを気づかせてくれ、後悔しない遺言書を一緒に作ってくれた先生には感謝しかありません。