「遺産が欲しい!家は売ろう!」介護を一切せず、実家を避け続けた娘…家族会議で明かされた“亡き父の知られざる想い”に涙

「遺産が欲しい!家は売ろう!」介護を一切せず、実家を避け続けた娘…家族会議で明かされた“亡き父の知られざる想い”に涙
(画像はイメージです/PIXTA)

予期せぬ別れに直面したとき、人は何を思い、どう乗り越えるのか…。書籍『もう会えないとわかっていたなら』(扶桑社)では、遺品整理会社、行政書士、相続診断士、税理士など、現場の第一線で活躍する専門家たちから、実際に大切な家族を失った人の印象深いエピソードを集め、「円満な相続」を迎えるために何ができるのかについて紹介されています。本連載では、その中から特に印象的な話を一部抜粋してご紹介します。

父の介護、任せっきりな妹たち…

賢一さんのお宅の庭には、一本のカリンの木が植えられていました。色づいた葉の中に大きな実を付けたその木を見上げながら、相続診断士の私は賢一さんと妹さんたちが相続で揉めているという話を聞かされたのです。

 

妹さんたちの気持ちが少しでもわかるかもしれないと、賢一さんは女性である私を指名しました。昔はここで家族が団らんしたと思われる茶の間で、私は賢一さんと向かい合いました。

 

つい先日まで、賢一さんはこの家でお父さんと二人暮らしだったといいます。八〇歳を迎えたばかりの父親と、五〇歳を超えた長男の二人暮らし。がんを患い、体力の落ちたお父さんは介護が必要で、賢一さんは会社勤めをしながら、お父さんの世話もしていたのです。

 

「妹さんたちは、手伝いには来られなかったのですか?」

 

賢一さんには二人の妹がいました。二〇年以上前に嫁いではいましたが、二人とも賢一さんの住む実家からそれほど遠くない場所に住んでいます。

 

「母のときは、妹たちに任せっきりだったので……」

 

賢一さんのお母さんは五年前に他界しています。最後の一年間はがんの治療のために長期入院し、そのときは、妹たちが代わる代わる病院に通っていたのだといいます。

 

「母も、男の私の世話になるより妹たちに面倒を見てもらいたがっていましたし、その頃は、私も離れて暮らしていたので……」

 

賢一さんは二年前、離婚を機に実家に戻っていました。そして、今度は父親ががんになったのでした。

 

「妹たちにはそれぞれ旦那もいるし、なんだかいろいろ頼みづらくて……」

 

結局、賢一さんはお父さんが最後の入院をするそのときまで、一人で介護をしたのです。

父が遺言を残さなかった結果…

お父さんは遺言を残していませんでした。賢一さんは、お父さんに何度も遺言を書くように勧めたのですが、お父さんは自分の子どもたちが多くもない財産で揉めることはないと思っていたのだそうです。

 

「ただ、父はずっとこの家と墓は守ってほしい。そして、兄妹で仲良くしてほしいと言ってたんです。それなのに……」

 

お父さんの葬儀のあと、賢一さんは妹さんたちにお父さんの思いがあるから自宅は自分が継ぐ代わりに、残された預貯金を妹たち二人で分けるよう提案したのですが、妹二人は、遺言が残されていなかったのだから法定相続分である三分の一の遺産が欲しい、そのために実家を売って現金化したほうがいいと言ってきたのだそうです。

 

「なんか、頭にきちゃって……。だって、そういうことじゃないでしょう」

次ページ疎遠になっても、じつは妹たちをずっと想っていた父…

本連載は、2022年8月10日発売の書籍『もう会えないとわかっていたなら』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございます。あらかじめご了承ください。

もう会えないとわかっていたなら

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