親友がくれた人生を再出発する勇気
「何かお役に立てることがないかと思って伺ったんですけど、すみません、しゃべりすぎちゃいました。ご迷惑だと思うのでそろそろ帰らせていただきますね」
そう言って、僕が立ち上がろうとしたとき、順子さんが初めて声を漏らしました。
「この二〇年、私の居場所は病院とコンビニとこの家だけだったんです」
座り直して、僕が顔を合わせると、順子さんは「生きる希望を持てないんです」と言って、静かに話し始めました。
二〇年前、順子さんが三五歳のとき、お父さんが脳梗塞で倒れました。半身麻痺と言語障害が残り、介護が必要になったのだといいます。そしてそのすぐあとに、お母さんがパーキンソン病とわかったのです。
順子さんは三五歳で仕事を辞め、両親の介護を始めました。一人っ子で、頼れる親戚もおらず、両親を施設に入れるお金もありませんでした。デイサービスを利用しても、二人同時に面倒を見てくれる日はなく、順子さんには介護から逃れられる時間がなかったのです。
やがて、貯金も底を尽き、両親の年金と生活保護でなんとか日々の暮らしを凌しのいできたと言います。
「気がつけば、結婚もしないまま、こんな歳になってしまって……」
涙ながらに話す順子さんの手を、純子さんがしっかりと握ります。順子さんの辛さが伝わって、僕の涙も止まりませんでした。
順子さんがぎりぎりの状態まで追い込まれ、心中したいという思いが強くなった頃、お父さんが亡くなりました。そして、それを追うように一年もせずにお母さんも亡くなったのです。
純子さんは順子さんの肩を抱き、「つらかったね。つらかったね」と身体をさすりました。
「私の人生は介護だけで終わったの。だから私は、このままでいい」
そんな順子さんの言葉に、純子さんが強く首を横に振ります。
「なに言ってんの順子ちゃん! 五五歳なんて、人生まだまだこれからだよ!」
僕は順子さんに、純子さんのことを話しました。
「あなたのことをこれだけ思いやってくれている人がいるんですから、きっと大丈夫ですよ」
そして、純子さんの思いが通じたのか、順子さんはようやく遺品整理に応じてくれたのです。遺品整理にかかる二日間、順子さんには純子さんの家で過ごしてもらいました。
僕たちは遺品の整理だけでなく、家の中も順子さんが過ごしやすくなるよう、きれいに片付けてから二人の「じゅん子さん」を招き入れたのです。
その部屋を見た順子さんは、涙を流して純子さんの手を取りました。
「純ちゃん、ありがとう。これからはお父さんとお母さんの分も、純ちゃんみたいに頑張る」前向きになってくれた順子さんは、「まずは仕事を探さなくちゃ」と言って笑いました。
ずっと想ってくれた友人が支えとなって、再出発する勇気が持てたのです。