(※写真はイメージです/PIXTA)

岸田政権は分配をより重視し、令和版「所得倍増計画」を打ち出しましたが、今は見る影もありません。一方、1960年に池田内閣が所得倍増計画を発表した当時、日本の経済は高度成長期にありました。経済評論家の加谷珪一氏が著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)で解説します。

「所得倍増」の歴史は繰り返されない

政府はこうした事態に対処するため、1965年に戦後初となる赤字国債(特例国債)を発行。その結果、40年不況という想定外のショックにもかかわらず、企業の設備投資は急激に復活し、翌年から日本経済は高い成長軌道に戻りました。

 

このように、経済が自律的に成長している時には、少々のショックがあってもすぐに立ち直りますし、政府の財政出動も劇的に効果を発揮します。

 

池田氏は大蔵官僚出身で経済に精通しており、所得倍増については当然のことながら自身でも確信を持っていたことでしょう。しかしながら池田氏の政治家としての凄さはそこではありません。この話は、所得倍増計画がもたらした政治的インパクトの大きさを見れば明らかといってよいでしょう。

 

池田氏が首相に就任した1960年は、日米新安全保障条約の締結をめぐって学生運動がピークに達していた時でした。前任の岸信介首相が安保条約をめぐって衆院で強行採決を図ったことに対して革新勢力が猛反発。全学連の学生らは、安保改定阻止・内閣打倒を叫び、国会周辺で激しいデモを行いました(60年安保)。

 

一部の学生は暴徒化して警察車両に放火し、警察もデモ隊を激しく制圧したことから、東大生だった樺美智子さんが死亡するなど極度の混乱状態となりました(ちなみに当時、共産主義者同盟に名を連ね、全学連中央執行委員として学生運動を率いていたのは、後に保守思想家に転じ、2018年に自殺した西部邁氏です)。与党内でも岸内閣の強引な手法に対する批判が高まり、条約の自然成立(参院では採決されなかった)と引き換えに岸内閣は総辞職に追い込まれました。

 

安保改定をめぐる一連の混乱は国内に分断を生じさせ、政治的には暗い時代でした。岸氏に代わって政権を担った池田氏は、国民に対して低姿勢を貫き、所得倍増という明るい話題を前面に出すことで重苦しい雰囲気を一掃。国民の関心を未来に向けることに成功したのです(池田氏の性格は短気で知られていましたが、あえて封印したとも言われます)。

 

首相就任から4カ月後に行われた総選挙では、自民党は301議席を獲得するなどまさに圧勝となり、池田氏は自身の政権基盤を盤石にしました。政治的に見れば、池田氏は黙っていても経済が成長するという客観的な事実をうまく活用し、これを絶妙なキャッチフレーズに転換することで、強固な政権基盤を確立したわけです。

 

先ほど、岸田氏が率いる派閥である宏池会の創始者は池田氏であると述べましたが、安倍氏が所属している清和会は安倍氏の祖父でもある岸氏が創設した派閥です。池田氏は吉田茂元首相の愛弟子ともいえる存在であり、一方で吉田氏と岸氏は最大の政敵でした。こうした経緯から、吉田氏をルーツとする経世会と池田氏をルーツとする宏池会は、長年にわたって岸氏の派閥である清和会と対立を続けてきました。

 

岸田内閣は安倍内閣の政策を否定する形で発足しましたが、その経緯は60年安保によって岸内閣が総辞職し、代わりに池田内閣が成立した当時と状況がよく似ています。岸田氏があえて所得倍増計画という言葉を口にした背景には、こうした歴史的経緯が関係しているとみてよいでしょう。

 

ちなみに池田氏は所得倍増計画にさらに巧妙な仕掛けを加えています。閣議決定された所得倍増計画には、「所得倍増計画の構想」という別紙があり、実はこの別紙が非常に重要な意味を持っているのです。別紙には、所得倍増計画とは別に、農業近代化、中小企業近代化、後進地域の開発促進、公共事業の地域別分配の再検討といった項目が並んでいました。

 

戦後の国内政治についてある程度、知見を持っている読者の方であれば、これが何を意味しているのかピンと来たのではないでしょうか。

 

ここで示された各項目は、予算の重点配分リストであり、自民党における権力基盤そのものと言い換えることができます。所得倍増計画には、高度成長によって生まれた豊富な財源を多くの利害関係者にバラ撒くことで、自身の政権基盤を強化するという明確な目的があったのです。

 

視点を変えて見ると、所得倍増計画というのは、極めて政治的かつ野心的な取り組みだったことが分かります。日本経済が自律的に高成長を実現し、十分な財源を確保できる見通しが立ったことから、その果実を政権の基盤強化に利用したわけです。逆に言えば、経済というのは条件さえ整えば、政治とは無関係に成長できるということでもあります。

 

加谷 珪一
経済評論家

 

 

↓コチラも読まれています 

ハーバード大学が運用で大成功!「オルタナティブ投資」は何が凄いのか

富裕層向け「J-ARC」新築RC造マンションが高い資産価値を維持する理由

 業績絶好調のジャルコのJ.LENDINGに富裕層が注目する理由 

コロナ禍で急拡大!トラックリース投資に経営者が注目する理由

  「給料」が高い企業300社ランキング…コロナ禍でも伸びた会社、沈んだ会社

本連載は加谷珪一氏の著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)から一部を抜粋し、再編集したものです。

縮小ニッポンの再興戦略

縮小ニッポンの再興戦略

加谷 珪一

マガジンハウス新書

給料は下がるのに、物価は上がる――。「最悪の未来」(スタグフレーション)を回避するため、日本はいま、何をするべきなのでしょうか。 本書では、多くの日本人が衝撃を受けるであろう真実を提示しています。それは「日本の高…

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録
会員向けセミナーの一覧