「現役時代の自分は、本来の自分ではない」?
最後の「アンコール段階」に至ることができれば、コンサートで本演奏が終了したあと、アンコールとして演奏者が軽めの曲をリラックスしていかにも楽しそうに、笑顔をたたえて演奏するように、気楽な気持ちで、マイペースで人生の最後の余韻を楽しんでいるような状況になれる。
このような人は、続けてきた日々のルーチンワークに淡々と取り組み、物事のちょっとした変化や、草花や空の様子などから季節が移ろっていく様子などに喜びが感じられるようになる。
取り組んだことの結果の良し悪しに一喜一憂せず、他者の評価などは気にせず、世間の常識にとらわれず、一般的な型にもはまらず、とても自由にしていられる。その発言や行動から、経験や知恵や自分らしさや深い味わいなどが感じられ、個性的な人格として肯定的に認められる。
この4ステップには、「現役時代の自分は、本来の自分ではない」というメッセージが込められています。再評価段階は、自分がこれまでの人生のほとんどの期間において、課せられた役割を演じていたに過ぎないと自覚するステップです。
本来の自分は、演技をする必要性がなくなって「やりたいことができる」ようになった解放段階を経て、まとめの段階に至ったときに初めて発見が可能になると言っています。
少し前に、「自分史」が流行っていましたが、現役を退いてすぐ書かれた自分史の中に、本来の自分はないということになるでしょう。
再評価段階は、発想の切り替えを促してもいます。時間も可能性も無限にあると思ってしまうような年齢は過ぎているのだから、時間はもちろん自分の能力や運にも限界があると理解し、その前提で何をすべきかを考えろと言っています。なぜなら、「いつ死ぬか分からない」からです。
再評価段階のポイントは、「演じていた自分」と「死への意識」にあります。これがあるから、解放段階で「やりたいという意欲が湧いてくる」のですが、逆に言えば、やりたい意欲が湧いてこないのは、「演じていた自分」も「死への意識」もないからということになります。
夫・妻、父親・母親という家庭での自分、会社や仕事において上司や部下や顧客の視線を受けている自分、それらは全て演じるべき「役」だったのですが、ずっと演じているとだんだんとそれが「本来の自分」だと思い込んでしまう。