幸福な高齢期を創るための考え方
高齢者に「今、何をお望みですか?」「これから、どんなことをしたいと考えていますか?」といった質問をすると、「子どもや孫が幸せなら、それで十分」とおっしゃる方が少なくありません。
子どもたちを育て上げ、つつがなく勤め上げて、担った使命を全うできた安堵。もう若い人たちだけでやってもらって、私たちのような、お迎えを待つだけの人間はもう身を引いたほうがいいという、この世代特有の美学が感じられる言葉です。しかし、言葉が過ぎるかもしれませんが時代錯誤のように思います。そんなに早くお迎えはやって来ないからです。
「いつ、お迎えが来るのかなあ」「もー、私いつまで生きるんやろ」といった、自虐的で苦笑を含んだ話をよくされますが、残念ながらそう簡単にお迎えはやって来ません。それどころか、健康な20~30年が待ち構えているのです。
アメリカには、サクセスフル・エイジング(successful aging)という言葉があります、「幸福で実りの多い、優れた人生を全うする」といった意味です。老年学者のロバート・バトラーが唱えた、「健康で能力もあるのだから、生産的な活動や社会貢献活動に参加しよう」というプロダクティブ・エイジング(productive aging)も広く共感を呼んでいます。「サード・エイジ」(The Third Age)は、「人生の最盛期。達成・完成期」という意味で、「健康で就労の義務はなく、経済的に自由に暮らせる時」です。
インドには、人生を四つに分けて考える「四住期」という考え方があります。
(1)「学生期(がくしょうき)」:まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。
(2)「家住期(かじゅうき)」:仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。
(3)「林住期(りんじゅうき)」:世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
(4):「遊行期(ゆぎょうき)」:人生の最後の場所を求め、遊ぶように何ものにもとらわれない人生の最終盤。
これを見ると、高齢期には(3)や(4)のような楽しい時間が待ち構えていると思えてきます。
古代中国でも、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」という人生の四季がありました。
幼少期はまだ人として芽吹く前の冬であり「玄冬」。若々しく、これからの未来に希望を膨らませ、成長し続ける時期は「青春」。世の中で中心的な役割を果たし、バイタリティあふれる活躍を見せる現役世代が「朱夏」の時期。最後の「白秋」は老年期で、人として穏やかな空気やたたずまいを見せ、人生の実りを楽しむ期間、とされます。
定年退職は「朱夏」が終わったばかりで、まだまだこれから「白秋」で実りを楽しまねばなりません。「私はもう十分」という考えは捨てて、長い高齢期を幸福で自分らしく楽しみ、高齢期ならではの境地を味わいながら生きていくための考え方などについて見ていきたいと思います。