コンサルタント「一番重要な準備は済んでいますね」
山田氏が紹介してくれた大谷浩平氏は、簡単に自己紹介をして、「私でお役にたてることがあればよいのですが」と言った後は、山田氏と鈴木社長の話しを横で聞き、時々メモをとりながら、鈴木社長と山田氏の話しをうなずきながら聞いていました。
しばらく時間がたった後、大谷氏は一言、「事業承継の対策をこれから始めるとしたら、鈴木社長は何から着手したらよいとお考えですか?」と質問してきました。
鈴木社長は、「何から着手するのがよいかがわからなくて、どうしたものかと思っているのです。一般的にはどのような準備から始めるのでしょうか?」と逆に質問を返しました。
すると、大谷氏は、少し笑って、「鈴木社長は、一番重要な準備は済んでいらっしゃいますから安心してください」と。そして、「一番重要な準備とは、後継者を決定することです。鈴木社長はそれをもう決定していらっしゃいます。だから、他の社長に比べて、事業承継対策では大きなアドバンテージがあります」と言います。
鈴木社長と大谷氏の会話を聞いていた山田氏が、生命保険会社が社長に行ったアンケート調査では、誰に事業承継するかその方針を決めた人の割合は約50%でしたと言い、そのアンケート結果の資料を鈴木社長に見せました。
「最悪の事態のリスク回避から始めればいいでしょう」
「鈴木社長が次に準備することは、最悪の事態に備えてその事態が発生したときのリスクを回避することから始めていけばよいでしょう」と、大谷氏は言います。最悪の事態におけるリスクを回避できれば、あとはよりよい承継となるよう、一定の時間をかけながら相続税対策などを徐々に整えていけばよいといいます。
「最悪の事態」とは何ですか? と鈴木社長は大谷氏に質問しました。大谷氏は、その質問を受けて、一呼吸間をあけて答えました。「鈴木社長が突然亡くなることです」と。
そして、大谷氏はこれまであまり話をしなかったことから一転して、以下のことをゆっくりと鈴木社長に説明していきました。
「鈴木社長が突然亡くなれば、鈴木社長に代わって会社を経営する代表取締役を決めなければなりません。代表取締役の決定方法は、御社の定款に定められています。取締役会を設置している会社であれば取締役会で決定します。取締役会を設置していなければ、取締役の互選で決定する、または株主総会の決議で取締役のなかから決定することなどです。後継者候補の次男が取締役に就任していなければ、鈴木社長を継いですぐに社長になることはできません。
取締役の選任は、株主総会の決議で決定します。後継者候補の次男が株主総会の決議で取締役となり、その後、定款に定めた方法で次男を代表取締役にするといった順で進めていく必要があります。
すると、一番大事なことが見えてきます。取締役を選任する決議に議決権を行使できる株主を誰にするか、ということです。
今は、鈴木社長が自社の株式の大半を所有しているため、鈴木社長の意思で取締役も選任できますが、後継者候補の次男が株主でなければ何も決めることができません。
また、後継者に反目する取締役がいた場合、大株主ならば取締役を解任することもできます。後継者が経営しやすい環境を整えるためには、後継者が鈴木社長の自社株を受け継ぐ必要があるのです。
そして現時点において、鈴木社長が急死されたときの、最悪の事態が生じたときのリスク回避策を、鈴木社長は準備ずみでいらっしゃるかについて質問させていただきます」
「社長は遺言を作成しましたか?」
大谷氏は、また少し間をあけて、「鈴木社長は遺言を作成しましたか?」と一言質問をした。
鈴木社長は大谷氏の質問に回答しました。
「いえ、遺言は作成していません。私はまだ65歳だからということと、私が死ぬまでには今の財産内容は大きく変わるだろうと思い、今、誰に何をいくら相続すると決めることもできないので…」
それを聞き、大谷氏はこう答えました。
「鈴木社長のお考え、よくわかります。65歳の日本人男性の平均余命は20年です。20年もあれば、財産内容は大きく変動します。それに鈴木社長の場合はさらに財産が増えていきますから」
「遺言の作成は必須。でも、作成できないなら…」
大谷氏の説明は続きます。
「社長は遺言の作成は必須です。特に、社長の自社株を誰に渡すかを決めておかなければなりません。遺言がなければ、社長が亡くなった後、社長の相続人同士で社長の遺産分割の手続きをします。社長の財産は自社株以外に、預金、不動産、自社株以外の有価証券、会社への貸付債権などさまざまです。どの資産を誰がどれだけ相続するかを、相続人同士で話し合いながら進めていくため、なかなか時間がかかります。
遺産分割が終了しないときは、自社株は相続人全員で共有することになります。共有者のなかから議決権を行使する人を1人決め、その人の氏名を会社に通知します。この通知がなければ議決権行使することができません(会社法106条)。
鈴木社長が、私の説明を聞き、最悪の事態のリスクを回避することを、まず手掛けたいと思われたならば、私から一つ提案をしたいと思います。いかがでしょうか?」
そして、この後、大谷氏は鈴木社長が話しだすまでは、自分から一言も言葉を発しようとはしませんでした。
しばらく間があった後、「大谷さんの提案を聞いてみたいと思います」と鈴木社長は答えました。