(※写真はイメージです/PIXTA)

現状を打破したければリスクを取らないといけません。願わなければ叶わないのです。行動しなければ成功はないのです。志望しなければその大学は受かりません。9浪して27歳で早稲田大学に合格した濱井正吾氏が『浪人回避大全 「志望校に落ちない受験生」になるためにやってはいけないこと』(日本能率協会マネジメントセンター)で解説します。

多浪しても志望大学に入るという覚悟

▶「リスクヘッジ」リスクを取らない/重要度★★★★★

私が人生において行った冒険は大きく分けて2つあります。

 

1つ目は、人生お先真っ暗と揶揄されてでも入りたい大学に多浪してでも入る決断をしたこと。

 

2つ目は、人が隠したがる9浪の経歴を、実名顔出しで当時白い目で見られていたYouTubeに晒したことです。

 

1つ目の冒険をした理由は、まさに学歴を得ることによって人生を逆転しようとしたためです。そのため、ありとあらゆる雑音を排除しました。私は金銭面や周囲の環境が決していいとは言えない環境で生まれ育ち、最初の大学に入ったときに京都大学や同志社大学の学生に会って、人生に絶望しました。

 

きっとこのまま最初の大学を出て人生を過ごしていけば、高校までの生活と同じような未来しか待っていないと思ったので、どうせ死ぬなら社会的に死んでも、自分の思いを遂げてやろうと思ったのです。

 

その道は決して平坦なものではなく、10年はかかるであろうということを実感していました。私が大学を卒業するまでの4年間を浪人にカウントすることを疑問に思われる方もいると思うのですが、私が大学を卒業したのも、親族の攻撃を受けない大学生という身分で自分を守りながら勉強をしようと思ったのが大きいです。

 

一度目の就職活動で大手企業を受け続けたのも、一流大学の学生を相手にどれだけ戦えるのかが知りたかったからです。結局、残念ながらその思いは叶わず、自分はこのままでは社会で通用しないという思いが一層強くなり、大学卒業とともに親族に思いを伝え、周囲の非難に晒される5年間を送ることになりました。

 

2年半勤めた会社を辞めた後の私への非難はさらにひどくなりました。25歳の無職の人間など、地元社会ではもはや死んだも同然なのです。それでも、この死んだフリを社会で高く跳ね上がるための準備期間として耐え抜くことができました。リスクを取ったからこそ、27歳で自分がかつて憧れた一流大学の学生と日常的に交流できる環境に入ることができたのです。

 

受験をするときにも、最後まで私はMARCHを2回に1回受かるかどうかというレベルでした。それでも諦めずにわずかな可能性を信じて早稲田の対策に時間を費やし、併願した明治と立教は対策しきれずに落ちたものの、早稲田に受かりきりました。

 

9年かかりましたが、リスクを取ったからこそ、負の相関から脱出できたのです。

 

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本連載は濱井正吾氏の著書『浪人回避大全 「志望校に落ちない受験生」になるためにやってはいけないこと』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋し、再編集したものです。

浪人回避大全

浪人回避大全

濱井 正吾

日本能率協会マネジメントセンター

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