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戦争を指揮しただけでなく戦争を志向した
20世紀の初頭においてイギリスは世界中で最大の軍事大国だったが、第二次世界大戦終了時には、首相の名声を除いてほとんどすべての栄光を失った。チャーチルは第一次世界大戦で艦隊を準備し、イギリスの唯一の戦略上の貢献(これがさらなる惨事につながった)を主導した人物であった。そして現代から見れば常軌を逸したとしか思えないようなやり方で、自ら第二次世界大戦の指揮を執ったのである。
チャーチルは戦争を指揮しただけでなく、戦争を志向した人物であったという評価がある。戦争好きが高じてわざと他国をけしかけ、その機に乗じて自分も有名になったというのである。先に紹介した保守党議員の妻もこのように見ていた。
1934年、夫宛の手紙のなかで、彼女はチャーチルを血に飢えたドイツのゲーリング司令官と変わらないと書いた。「イギリスが直面する多くの問題の平和的な解決に確実に害を及ぼす力を持つ人物」と彼女はチャーチルを評した。
今日、チャーチルは道徳的な潔白さの権化として受け止められている。独裁に立ち向かう勇気を持ちながらも温厚で、人間的で、民主的で、血色がよく基本的に善良で、イギリス人的な冷静さを持ちあわせていた、というイメージである。おおむね真実といっていい。
しかし、戦争直前には、多くの人がチャーチルに邪悪なカリスマ性、暴力を行使することを躊躇しない残忍性を見ていた。今でも、その陽気なイメージの下には『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーか、あるいはその上に君臨するダース・シディアスのような本性が隠れていたと考える人がいる。
少し前に米ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストにコラムニスト、パトリック・ブキャナンによる興味深いチャーチルこきおろし本が入っていた。この本のなかで、ブキャナンは1914年にチャーチルに「戦争をしたいという欲望」があったと批判している。
イギリスは1939年、無為を決め込み、ナチスが欧州全体を奴隷化させておけばよかったと主張した――これを「主張」と呼べればの話だが。ブキャナンはチャーチルがプロイセン王国の皇帝や高級軍事官僚たちよりもはるかに好戦的であったと書いた。そして、1914年までに「チャーチルはドイツ軍の誰よりも多く戦争を経験してきた」と付け加えた(これはおそらく事実である)。
別の超保守主義者の見方を紹介しよう。サンデー・テレグラフ紙の元編集長パレグレイン・ウォーストーン卿は、最近次のような記事を書いた。「ウィンストン・チャーチルほど、戦争を美化するのがうまく、戦争を始めることに臆面もなく熱心である政治家はほとんどいない。すべてのチャーチルの著作は、戦争を賛美し、美化し、恐怖を最小限に見せる内容である」。実際に第二次世界大戦で戦ったウォーストーン卿は敬意を払われてしかるべきだ。しかし、残念ながら彼の見方は事実に反しているし、チャーチルの性格の複雑さを反映していない。
チャーチルが戦争に興奮したという点は認めよう。もとより戦争というドラマに、その壮大さに、感動し、憧憬を抱く性質ではあった。第一次世界大戦勃発前夜の1914年8月3日、エドワード・グレイ外相が下院での演説で「欧州の灯りが消えた」と述べたとき、チャーチルは涙を流した。アスキス首相はチャーチルの当時のこの反応に批判的だった。
「ウィンストンは顔に出陣化粧を施しながら開戦を待ち焦がれている……。そういうことがいちいち私には悲しく思われる」。これよりはやや寛大だったのがアスキスの妻マーゴットである。「ウィンストンは塹壕に行きたくてたまらないようね。戦争という、何か大きくて、わくわくするような、楽しい出来事を夢見ている。生まれつきの兵士だわ」。
チャーチルはマーゴットに向かって、戦争は「じつに面白い」とうっかり口を滑らしている。すぐその後で彼女に口止めをしてはいるが。彼はまた、「平和こそ最も望んではならないものだ」と言ったという証言もある。そのほかにも多くの人がチャーチルの戦争に対する意欲、興奮、そして決意に満ちた目の輝きを記憶している。
ボリス・ジョンソン
イギリス第77代首相 保守党党首
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