いま、世界で最も注目されているイギリスのボリス・ジョンソン首相が、与党・保守党の党首を辞任するという。その奇抜な言動で、常に物議を醸し続けているジョンソン首相。2022年4月9日、ロシアからの侵攻で危機の真っ只中にあるウクライナの首都・キーウを電撃訪問し、世界中を驚かせた。なぜジョンソン首相は突然キーウを訪問し、ウクライナを積極的に支援したのか。

チャーチルのことを強烈に意識していると思われるジョンソンが書き下ろした評伝『チャーチル・ファクター』には、チャーチルは戦争を避けるためだけではなく、戦争の人間への衝撃を最小限にする目的で、科学技術イノベーションを推進することにエネルギーを注いだとチャーチルを評価する。

ボリス・ジョンソン著『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)から、「第12章 報復にはノー、毒ガスにはイエス」を抜粋してお届けする。

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チャーチルにとって「戦争なくして栄光なし」

チャーチルが戦争を愛したことは疑いもない真実だ。彼にとって戦争なくして栄光はなく、ナポレオン、ネルソン提督、そして自らの先祖であるマールバラ公と自分が並び称されることもなかった。戦争や戦闘の危険性が男性たちを高揚させ、何でもない日常を輝かせることを知っていた。

 

だからこそ、若いときに戦争の記事を横目で追いながら、向こう見ずにも戦争に飛び込んだのである。戦争はアドレナリンを放出させた。実際に戦闘に参加して頭に血が上っているときは、全力で敵を倒そうとした。ハーロー校ではフェンシングの審判がチャーチルの突進攻撃に気づいていた。

 

チャーチルは戦うときは相手に一歩も譲ってはならず、手段を選ぶべきではないと考えていた。正論である。彼は暴力を使う際には容赦をしなかった。

 

最近、イギリスでは当然のことながら誰もが嫌悪感を抱くシリアの化学兵器の使用について、高尚な国際的な議論があった。この議論のなかで、イギリスの国民的英雄チャーチルが、第一次世界大戦中に毒ガスの使用を奨励した件について言及した人はいなかった。

 

チャーチルはガリポリでトルコ軍に向かって毒ガスを使うことを望んだ。軍需大臣としてのチャーチルの大きな貢献の一つは、1918年の1カ月間で、イギリス軍が発射する砲弾の3分の1にマスタードガスを使ったことだ。実際、チャーチルはマスタードガスの使用には非常に熱心で、これを第二次世界大戦でも使おうとしたが、部下の大将らがチャーチルをなだめた。

 

チャーチルはガリポリで何千人もの兵士を死に追いやったばかりではなかった(息子ランドルフがイートン校に到着したとき、生徒の一人に「あなたの父が僕の父をダーダネルスで殺しました」と言われたという)。1940年には同盟国であったフランス艦隊の破壊を命じ、ドイツでじゅうたん爆撃を行った。

 

現代の政治家が考えられないほどの決断を、活力と自信をもって下した。しかし攻撃を受けたときに懸命に戦うことと、戦争好きが嵩じて開戦の原因を自ら探しに行くことには雲泥の差がある。攻撃と抵抗は違う。少なくとも、攻撃と反撃は別物である。

 

チャーチルがビクトリア時代後半の帝国戦争で個人的な称賛を求めたのはたしかだ。それでも自分が入隊した当時の戦争の大義に同意したわけではない。キッチナー将軍がスーダン解放を目指してエジプト軍と戦った際のマフディーの墓の扱いに対する嫌悪感、あるいはパキスタンの北西辺境地域での「犯罪的で、臆病な」戦争の批判を思い出していただきたい。

 

チャーチルはいわれのない帝国主義的攻撃や好戦的愛国主義を嫌った。たんなる植民地拡大のための戦争の意義を信じなかった。チャーチルはこうしたリベラルな考え方をビクトリア朝の戦場からエドワード朝の政府へと持ち込んだ。

 

1906年2月のある朝、植民地省の閣外大臣であったチャーチルをある女性が訪ねてきた。秘書のエディー・マーシュが追い払おうとしたが、彼女は相手にしなかった。背が高く、なかなかの美人で名前はフローラ・ルガードといった。彼女は、大英帝国の“ブーディカ”とも言おうか。ブーディカとは、その昔イングランド地方東部を治めていたイケニ族の女王である。

 

夫プラスタグス王の死後、侵略されたローマ帝国軍に対し、反乱を起こした女傑だ。フローラはタイムズ紙の元植民地報道編集者で、「ナイジェリア」という国名を発案した人物でもあり、女丈夫として鳴らしていた。彼女は先住民の虐殺者として悪名高いフレデリック・ルガード卿と結婚したばかりであり、自身の使命はこの“男の子”(チャーチルのことを彼女はそう呼んだ)にどうやって西アフリカを正しく運営するかを教えることだと考えていた。

 

その方法とはつまり、彼女と彼女の夫に任せることだった。時にはロンドンから、時には現地で直接、手入れの行き届いた最高の近代的武器を好きなだけ使って自分たちの思い通りに統治することを望んでいた。

 

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※本連載はボリス・ジョンソン氏の著書『チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力』(プレジデント社)より一部を抜粋し、再編集したものです。

チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力

チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力

ボリス・ジョンソン

プレジデント社

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