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チャーチルはの政治上、軍事上の司令塔
ドイツの状況は悪化していた。チャーチルは下院で、女性、子供、老人に対して飢餓という“武器”を使うのは忌むべきことであると不満を述べた。できるかぎり早く海上封鎖を解除し、ドイツと平和条約を結ぶことを望んでいた。
最終的に、両陣営はベルサイユ条約に合意したが、その内容は巨額すぎて支払いができないほどの賠償金をドイツ側に求めるものだった。こうした仕打ちは根本的にばかげていると見たチャーチルは、ロイド・ジョージや米大統領ウッドロー・ウィルソンと衝突した。
ベルサイユ条約の内容はドイツにとって過酷だった。実際にチャーチルは「ベルサイユ条約の経済条項は有害かつ愚かな内容であったために明らかに意味のないものになった」と述べている。チャーチルの先見の明、そして彼の本質と本能を物語る言葉である。
著作『第二次世界大戦』の序文には、国家は「戦争には決断を、敗北には闘魂を、勝利には寛大を、平和には善意を見せるべきだ」という、有名な言葉がある。これはたんなるうわべだけの言葉ではない。チャーチルは本当にこの通りに行動した。チャーチルに向けられた最大の中傷の一つは好戦的で、喧嘩好きで、戦闘好きなあまり、きな臭さを嗅ぎ取っただけでじっとしていられなくなり、鼻息を荒くして、目をぎょろぎょろさせて興奮していたというものだ。
人々がなぜチャーチルのことをそのように思ったのかを理解するのはたやすい。20世紀の最初の半世紀に起きた歴史的な出来事を思い出してみよう。
人間がこれまでに経験した、最も恥ずべきかつ破壊的な紛争となる第一次そして第二次世界大戦が大きな位置を占める。第一次世界大戦では世界中で合計3700万人が亡くなり、そのうちの100万人がイギリス人だった。西部戦線の一部であったフランドル地方の野原では、有能な若い世代が消えていった。その多くは粉砕されて塵となるか、仏ベルダンにあるような、無名の兵士のための巨大な骨壷に入った。
第二次世界大戦ではもっと多くの人が殺された。6000万人の死者のうちで50万人はイギリス人である。イギリスは物理的にも精神的にも猛攻撃を受け、富の四分の一を失った。これほどの大惨事を目にすると、当時国を率いていたのは一体誰だったのかと改めて問わざるをえない。
今日では半ば忘れられているともいえるが、チャーチルは両方の紛争の運営において欠かせない存在だった。実際に、戦争の記憶が風化してくると、二つの世界大戦が一続きの出来事のように思えてくる。同じ場所、同じ形式、ほぼ同じ理由で戦い、同じ人物が舵をとっていた。この11年にわたる殺戮の間、チャーチルはイギリスの政治上の、そして軍事上の司令塔であった。