「ヨーロッパ合衆国」はチャーチルの造語
彼は情熱的に国家主権という根本的な問題について語り、典型的なチャーチル流国際主義を論じて演説を締めくくる。親ヨーロッパ派のお決まりの議論だ。すなわち、イギリスは防衛問題ですでにNATOとアメリカと主権を分かち合っているではないか。なぜヨーロッパとそれができないのか?
世界の流れは国家間の相互依存です。それが最善の望みであるという信念が世界にあふれているのが感じられます。もし個々の独立国家の主権は神聖不可侵だとしたら、われわれが世界機構に属しているということはどういうことでしょうか。それこそがわれわれが信奉すべき理念だからであります。
なぜわれわれは西ヨーロッパの防衛という巨大な義務を引き受けたのでしょうか。われわれのように海峡によって他国の侵攻から守られていない国々の運命に、なぜかつてないほどかかわり合ったのでしょうか。なぜわれわれはアメリカに富の施しを受け、経済的に依存することを受け入れたのでしょうか。現政権はそのために手を尽くしました。
このことが理解され、受け入れられさえするのは、ひとえに相互依存こそわれわれの信念の一部であり、救いの手段であるという考えが大西洋の両側で共有されているからです。
いや、それだけではありません。その世界機構のために私たちは危険さえ冒し、犠牲もいとわないでしょう。わがイギリスは一年間、独裁体制に対して孤立無援の戦いをしました。それは純粋にイギリスの利益のためだけではありません。われわれの暮らしがその戦いにかかっていたのは事実です。しかしわれわれが懸命に戦い、1940年と1941年、勝利のユニオンジャックが翻り続けたのは、この戦いがわれわれ自身だけでなく、世界の大義のためだという確信があったからです。
自らの命を捧げた兵士、息子のために涙を流した母親、夫を亡くした妻は、われわれが自分たちだけでなく人類にとって尊いもののために戦った事実によって励まされ、あるいは慰められ、自分たちが普遍的なもの、永遠なものにつながっていることを感じ取りました。保守党と自由党は、国家主権は不可侵ではないと考えます。そして、すべての大陸のすべての人が相携えて家路を探すことによって、国家主権はかならずや縮小するだろうと宣言します。
チャーチルが見境のない連邦主義者、つまりは「ヨーロッパ合衆国」の信奉者だった証拠として、これを見よといわんばかりに取り上げられるのはこの種の文言である。ほかにもいくらでもある。彼が初めてヨーロッパ連合のビジョンを明確にしたのは1930年のアメリカ旅行のあとのことだ。国境や関税のない単一市場が経済成長に貢献していることを見て衝撃を受けたのである。実際、「ヨーロッパ合衆国」という記事も書いており、この見出しもチャーチルの造語であった。
1942年10月、彼は戦争の真っただ中に外相だったアンソニー・イーデンに宛てた手紙の中で、戦後世界のビジョンを大まかに述べた。最善の希望はロシアを除くヨーロッパ合衆国で、ヨーロッパ各国間の関税は「ぎりぎりまで削減され、自由な旅行が可能になる」というものだ。戦後、彼はゴール人(フランス人の祖先)とチュートン人(ドイツ人の祖先)の連合、平和の殿堂などに言及した一連の熱狂的な演説を行っている。