一方では「紙の価値」をさらに追及中
一方、いわば中庄の原点回帰に位置づけられるプロジェクトも進行中だ。
すでに触れたように中庄の初代は紙製品の小売商だ。中村社長は、その点がずっと気にかかっていたという。そこで、自社で企画開発した紙製品やセレクトした紙製品を、その名も昔の屋号を復活させた「中村庄八商店」で販売するという小売事業を始動させたのだ(1935年[昭和10]に株式会社中村庄八商店を設立、1964年[昭和39]に社名を中庄株式会社に改称)。
小売商として出発した中庄は、時代の流れと共に問屋へと成長した。今また小売業を始めることで、中間業者としてだけでなく、直に消費者とつながるという自社のあり方を改めて構築しようという試みである。実は2017年(平成29)に2店舗の中村庄八商店が誕生したが、残念ながら収益性の点で難しく、3年ほどで2店舗とも閉店せざるをえなかった。しかし1回の失敗で諦めるつもりはない。もとより難事には慣れっこだ。このときの教訓をもとに、ふたたび開店に向けて動いているという。
中村庄八商店の設立に関わったある社員は、「問屋に小売業なんてできるのかと最初は不安だったが、一度やってみると、世の中にはこんなに紙製品が好きな人がいると実感できた。存続できるほどの収益は出せなかったが、手応えを感じた」と話す。
こうした原点回帰的な事業も含め、今の中庄の主眼は「紙の存在を再定義し、必要とされる存在価値を追求すること」にある。
そんな、紙の新しい可能性を模索できるような場作りをできないかと考え、ワクワクをかたちにするアート企画団体「アトリエヤマダ」と組み、「紙の遊園地プロジェクト」を開始。プロジェクトの第1弾として、あらゆる紙と地域端材、カラフルで楽しい道具を使って楽しむ、かたちを目指さない新しい図工室「chokipetasu─チョキぺタス─」を毎月中庄本社ビルで開催している。
2021年11月には、さまざまなアーティストや企業と共に「紙の遊園地」というアートフェスを開催。「日本橋の地に新たな創造拠点となる発信地をつくる!」というテーマを掲げ、日本橋一帯を盛り上げるプロジェクトに育てていくことも中庄は目指している。
紙の需要が落ちているなかで「紙の価値」を飽くことなく追究し、世の中に提示していく。他ジャンルへの参入で企業としての生き残りを図りつつも、中庄の企業アイデンティティは、あくまでも創業時と同じ「紙屋」なのだ。
<何があっても潰れない会社の極意>
■当主の嫡男には後を継がせず、他家から優秀な養子をとって事業継承した
■「信は万事の本と為す」をモットーに事業展開を行い、信頼構築に努めた
■整水器の代理販売、高級食パン店のフランチャイズなど、本業以外にも柔軟に挑戦した
田宮 寛之
経済ジャーナリスト
東洋経済新報社 記者、編集委員
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