戦後時代、武田信玄に「上杉謙信の塩」を届けた会社…令和時代の「驚きの姿」 (※写真はイメージです/PIXTA)

困難を何度も乗り越えてきた「創業100年以上の企業」の数は、なんと日本が世界一。未曽有の経済危機に見舞われても揺らがない「本当に強い会社」には、どんな秘密があるのでしょうか? 本稿では、田宮寛之氏の著書『何があっても潰れない会社』(SBクリエイティブ)より、「株式会社吉字屋本店」について見ていきましょう。

逸話「敵に塩を送る」の立役者、株式会社吉字屋本店

1567年(永禄10)、名だたる武将たちが群雄割拠する戦国時代の最中、甲斐国(かいのくに)を治める武田信玄は天下統一を争う諸大名の筆頭格だった。

 

その信玄の南進政策を恐れた駿河の今川氏と相模の北条氏は、武田氏領地への塩の配送を絶ち、勢いに歯止めをかけようとした。これを「塩止め」と呼ぶが、その窮状を見かねて助け船を出したのが信玄の好敵手だった越後国の上杉謙信であった。

 

川中島で何度も戦った敵同士でありながら、謙信は信玄に越後の塩を提供しようと申し出た。謙信のほうにも、特産品である塩を有料で融通することで越後の経済を活性化させようという思惑があったのかもしれないが、この申し出により甲州が救われたことは事実だ。これが、よく知られている「敵に塩を送る」という言葉の由来となった逸話である。

 

この逸話に関わっているのが、現在、株式会社吉字屋(きちじや)本店(以下、吉字屋)を経営する髙野家の先祖・塩屋孫左衛門である。信玄に命じられ、孫左衛門は、この貴重な「義塩」を越後まで受け取りに行った。

 

その功績により、孫左衛門は、当時の甲斐国の通貨甲州金「露壱両(つゆいちりょう)金」の刻印である「吉」の字を屋号とすることを信玄から許された。こうして「吉字屋」が誕生することとなった。

 

出所:田宮寛之著『何があっても潰れない会社』(SBクリエイティブ)

[図表1]武田信玄の時代に作られた甲州金「露壱両金」。「吉」の字が刻まれている 出所:田宮寛之著『何があっても潰れない会社』(SBクリエイティブ)

 

日本随一の強さを誇った甲斐国の弱みは、周囲を海に囲まれていないために自国内で塩を生産できないことだった。そのため、おそらく危機管理という意味で塩の卸業に携わる人々が存在し、その中に塩屋孫左衛門がいたということだろう。

 

公には1568年(永禄11)創業とされているが、それ以前から塩の業務に携わっていたと考えられる。

経済ジャーナリスト
東洋経済新報社 記者、編集委員 

東京都出身。明治大学経営学部卒業後、日本経済新聞グループのラジオたんぱ(現・ラジオ日経)、米国ウィスコンシン州ワパン高校教員を経て1993年東洋経済新報社に入社。企業情報部や金融証券部、名古屋支社で記者として活動した後、『週刊東洋経済』編集部デスクとなる。

2007年、株式雑誌の『オール投資』編集長に就任。2009年、就職・採用・人事などの情報を配信する「東洋経済HRオンライン」を立ち上げて編集長となる。これまで取材してきた業界は自動車、生保、損保、証券、食品、住宅、百貨店、スーパー、コンビニエンスストア、外食、化学など。

『週刊東洋経済』デスク時代は特集面を担当し、マクロ経済からミクロ経済まで様々な題材を取り上げた。2014年に「就職四季報プラスワン」編集長を兼務。2016年から現職。

著者紹介

連載「何があっても潰れない会社」に学ぶ、100年続く企業の法則

何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則

何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則

田宮 寛之

SBクリエイティブ

「何があっても潰れない会社」は、どこが違うのか? 世界恐慌、リーマン・ショックといった、歴史上稀にみる深刻な経済危機に見舞われてもびくともしなかった「強い老舗企業」18社の秘密を、経営者、社員への濃密な取材をも…

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