オイルショックで窮地に立たされるかと思いきや…
1973年(昭和48)に勃発した第四次中東戦争の影響で、原油価格が高騰したというのがオイルショックだが、なぜか日本では、原油価格と直接的には関係のない生活用品が品薄になるという噂が流れた。その1つが紙製品だ。「トイレットペーパーがなくなる」という噂が飛び交い、日本中でトイレットペーパーの買い占め騒動が起こった。
こうした瞬間的な需要爆発で困るのは供給側だ。いくら求められても品物がない。中庄も窮地に立たされるかと思いきや、実際には思ったほどではなかったという。従来の仕入れ先が優先的に中庄に品物を回してくれたからだ。
こうした難事においては普段から懇意にし、信頼している取引先を優先するものだ。ここでも関東大震災のときと同様に、中庄の「信は万事の本と為す」が生きたのである。
また、品薄のなかで仕入れた製品を卸す際にも、やはり中庄は利より信をとった。
オイルショックのときには、通常より多く利益を上乗せして儲けた同業者も少なくなかった。しかし中庄では、仕入れ価格が上がったことによる値上げは多少あったものの、自社の利幅を増やすようなことはしなかった。中村社長はこう話す。
「品物がなくて困っている取引先や世間の人たちの立場に立って考えれば、当然の判断だったのでしょう。お互いに浮き沈みがあるなかで、関東大震災のときのように、当社から取引先に集金の前倒しをお願いするなど逆に助けてもらったこともあるようです。商売は持ちつ持たれつであり、当社はとにかく信用第一でやってきたことで、何とか潰れずに存続できているのだと思います」
企業である以上、利益は追求しなくてはいけない。しかし商売を長く続けていくうえでは、実は実利よりも信義をとるほうが正しい場合も多いのだ。
紙業界はまさに難局だが…「ご縁」から生まれた新機軸
現在、紙業界を取り巻く状況は厳しい。
トイレットペーパーなどは生活必需品だが、印刷物は違う。景気が悪くなると企業は宣伝広告に金をかけられなくなる。雑誌や書籍の売上も減る。そうなると、ポスターやチラシ、カタログといった宣伝材料、雑誌、書籍など印刷物に使われる紙の需要が総じて落ちる。紙業界は景気の影響を受けやすいのだ。
現にバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災と、日本経済が落ち込むたび、紙業界も歩調を合わせるように低迷した。
コロナ禍も例外ではない。たとえば遊興施設が閉館となり、イベントの中止が相次いだことで、パンフレットやチラシの紙需要が激減した。そればかりか家庭紙にも影響がおよんだ。遊興施設にトイレットペーパーを納めていた同業他社は、コロナ禍によって、その分の売上が丸ごとなくなってしまったという。
中村社長が経営を引き継いだのは2008年(平成20)、折しもリーマンショックが起こった年だった。新社長として得意先へ挨拶回りをした際には、「おめでとう」ではなく「ご愁傷様」と言われたものだという。
「リーマンショックは100年に一度、東日本大震災は1000年に一度の災難といわれ、もう何も起こらないかと思っていたらコロナ禍が起こりました。大変ですが、もう難局は慣れっこです」と、どこか口調は明るい。
とはいえ、景気動向とは別に無視できない事情もある。近年、急速に進んでいるデジタル化、ペーパーレス化の影響だ。電子書籍の普及は、まだそれほど大きな波にはなっていないそうだが、商品カタログや取扱説明書などのデジタル化が進み、業界では「情報用紙」と呼ばれる帳票・伝票などのペーパーレス化が加速しているという。
現に紙の総生産量は直近10年で2割減であり、さらに減っていくだろうというのが大方の見方だ。各社生き残りをかけて模索しているのだろうが、中庄は、業界そのものが低迷している難局をどう乗り切っていこうとしているのか。
中村社長の代になってからの新しい試みは、まったくの他ジャンルへの進出だ。
2012年(平成24)には、同業者の紹介で紙以外の営業経験のために整水器の代理販売を始めた。
2019年には「銀座に志かわ」という高級食パン店のフランチャイズに加盟し、現在は、恵比寿店、自由が丘店、中目黒店の3店舗を運営。さらに2020年には、広尾にある人気フランス料理店の経営を引き継いだ。
いずれも紙とは直接的に関係のない世界だが、すべて取引先のツテで舞い込んだ話だという。下降傾向の紙業界にあって浮上する道を探る中、こうしたさまざまな引き合いがあるというのは、信用第一で事業を営んできた帰結の1つといえる。