(※写真はイメージです/PIXTA)

困難を何度も乗り越えてきた「創業100年以上の企業」の数は、なんと日本が世界一。未曽有の経済危機に見舞われても揺らがない「本当に強い会社」には、どんな秘密があるのでしょうか? 本稿では、田宮寛之氏の著書『何があっても潰れない会社』(SBクリエイティブ)より、「株式会社吉字屋本店」について見ていきましょう。

現在は、石油製品を主商材とする「100年企業」

時は流れて、現在の吉字屋の主商材は石油製品だ。創業以来、塩を扱ってきた吉字屋が油(灯火油・食用油)を扱い始めたのは、おそらく江戸中期(嘉永7年版『甲府買物獨案内(こうふかいものひとりあんない)』掲載)といわれている。さらに時代は江戸から明治に移り変わり、塩が専売法の対象になったこと、そして石油ランプの普及によって灯油の需要が高まったことを機に、吉字屋は本格的に塩から油へと商材を転換していく。

 

明治、大正、昭和の初期にかけて、我が国における石油の輸入は外国企業のライジングサン石油とスタンダード石油を通して行われていた。1893年(明治26)、財界人の浅野総一郎はライジングサン石油のオーナー会社・サミュエル商会と契約し、横浜に油槽所(ガソリンなどを一旦貯蔵し、タンクローリーに積み込む機能を持った施設)を建設。

 

15代目・孫左衛門は、その浅野とすぐさま契約を取り交わし、日本初の石油特約店として山梨県で石油製品の販売を始める。浅野とサミュエル商会の契約が終了して以降は、直にライジングサン石油と契約して特約店となった。

 

さらに大正、昭和と時代が移り変わるにつれて、ガソリンなどの石油製品の需要は右肩上がりに増していったが、太平洋戦争が始まると石油製品は統制品となる。

 

16代目・孫左衛門は、山梨県内の特約店が統合して設立した山梨県石油販売株式会社の社長に就任し、戦時下の石油配給に当たった。そして終戦後の1948年(昭和23)、吉字屋はライジングサン石油改めシェル石油の特約店になった。

 

かつては塩を扱い、油へと手を広げ、時代の流れに揉まれつつ紆余曲折を経てきた吉字屋だが、戦後に改めてシェル石油の特約店となったのだ。

 

吉字屋は、小売と卸売の両方で一般家庭用の燃料から産業用燃料、潤滑油まで幅広く扱っている。

 

取引のすべては、1985年(昭和60)に昭和石油と合併して誕生した昭和シェル石油をパートナーに、昭和シェル石油が2019年4月に出光興産と経営統合したことから、現在は出光興産の特約販売店として、地域社会におけるエネルギー安定供給の責任を担っている。

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何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則

何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則

田宮 寛之

SBクリエイティブ

「何があっても潰れない会社」は、どこが違うのか? 世界恐慌、リーマン・ショックといった、歴史上稀にみる深刻な経済危機に見舞われてもびくともしなかった「強い老舗企業」18社の秘密を、経営者、社員への濃密な取材をも…

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