(※写真はイメージです/PIXTA)

新奇な発明として一時の話題になり、やがて消えていった製品はいくらでもあります。しかしそれは新発明であってもイノベーションではありません。社会にあるいはもっと具体的に人間の生活様式に組み込まれ、普及するような進化となって初めてイノベーションといえるのです。音楽シーンのイノベーションであるソニーの「ウォークマン」を例に、イノベーション創出に必要な条件を見ていきましょう。

イノベーション創出には「試行錯誤できる環境」が必須

■音楽シーンのイノベーション、ソニーの「ウォークマン」はなぜ生まれたか

トライアンドエラーを積み重ねていける環境を整えること――それがイノベーションへの唯一の道です。

 

誰もがやってみるということです。失敗する人もいます。しかしそれでいいのです。にもかかわらず日本は成功しなければだめと考える人がほとんどあり、一度失敗したら終わりと見放してしまう風潮すらあります。

 

そもそもこれだけ複雑な世界を簡素化して予測し、その予測に則ってすべてできると断言したり、行動したりするような人がいたら傲慢である可能性すらあります。すでに成功した人が語るなら敬意を払います。しかしそれは事実であっても再現性があるわけではありません。

 

トライアンドエラーを促すためには、誰もが自由にいろいろなことを試せる環境とそれを認める関係が必要です。また優れたものが生まれたときには、それを正当に評価し権利を保護し、報酬として還元する制度も重要です。

 

さらに仮に失敗したとしてもそれを許容範囲に収め、影響を軽微にとどめるリスクマネジメントの仕組みも必要です。もちろん自由な試みを奨励する以上は、ガバナンス上の配慮も求められます。

 

いずれにしても、いろいろなトライアンドエラーがあらゆるレベルで取り組めるようにしていくことで新しいものが生まれ、進化を続けていくことができます。トライアンドエラーの芽を摘まず、邪魔をしない――これが不確定な世界で生き延びるための唯一のセオリーです。

 

ソニーの創業者の一人である井深大氏はこんな言葉を残しています。

 

「科学的なデータにもとづいて、リスクが少ないような決定を下す一方で、我々に課されている最大のテーマは、挑戦そのものに伴う鋭敏な精神を失わないようにすることである。決して失敗を恐れてはならない。恐れて何もしなければ、老人の会社になってしまう。『これがソニーにとって良いことだ』と思えば、思い切って実行すべきだ。責任とは、それができる勇気を持つことだ」

(フェリカポケットマーケティング株式会社設立記念式典で同社代表取締役に就任したソニー〈当時〉の納村哲二氏が引用した井深大氏の言葉)

 

ソニーの世界的なヒット商品である「ウォークマン」の発案者は、当時の会長であった井深大氏でした。録音機能のないテープレコーダーなど売れるはずがないという社内外の反対論を押し切って1979年にデビューした「ウォークマン」は世界的な大ヒット商品となり、発売から15年で累計生産台数1億5000万台を記録しました。「ウォークマン」は街を歩きながら、あるいはスポーツをしながら高音質の音楽をヘッドホンで楽しむというそれまでにないライフスタイルを世界中に広めることになり、音楽シーンにおける大きなイノベーションになりました。

 

失敗を恐れずとにかく挑戦しよう、というトライアンドエラーの文化がソニーにはあったのです。

イノベーション創出には「多くの参加者」も必要だが…

■挑戦するメリットやインセンティブはあるか?

生物の進化を考えてもそのプロセスに参加する母数集団の大きさが、進化の可能性の鍵を握っていることは明らかです。参加者が多ければ多いほどさまざまな変異が起こり、外部環境が激変してもそこでなんとか生き延びるグループが登場し、生存確率が高くなります。わずかな数しか参加していなければ起こりうる変異は限られ、その確率も低いものにとどまってしまいます。

 

人類史を振り返れば一人の王とそれを支える少数のエリート層以外は、土地に縛られ激しく収奪される農奴であるという経済制度と政治・社会制度が長く、そして広い範囲にわたって採用されてきました。産業革命以前の社会は搾取的な社会が圧倒的だったのです。

 

そのような社会では、新たな技術への挑戦は生まれません。なぜなら発明者や開発者になっても本人に対する見返りはなく、いや何も得るものがないどころか成果だけを為政者に奪われ、場合によってはその技術を他に広げないために迫害され、抹殺されかねないのです。圧倒的多数の人々が農奴と扱われ年貢を納めることで生き長らえるような社会では、イノベーションの原動力が存在しません。

 

また新技術は人々の労働の形を変え社会の構造を変える可能性があります。これは為政者にとって決して歓迎すべきことではありません。従来の安定した収奪の仕組みを変えてしまう可能性があるからです。搾取的な社会の為政者にとってイノベーションは軍事技術や政治支配の強化に直結するものを除けば、積極的に求めるものではなく、むしろ警戒すべきものなのです。

 

仮に天才的な科学者や技術者が存在していても、社会構造がそのようなものであればイノベーションは生まれないのです。

 

15世紀半ばから16世紀初めにかけて活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチは、優れた画家であると同時に自然科学にも造詣が深く人類史上最も多才とすら評される人物です。愛用のスケッチブックには、詳細な人体図や多彩な機械や道具のアイデアが描きとめられていました。ただ、それらはイノベーションにはつながりませんでした。だからといってダ・ヴィンチが生み出した作品や思索の価値が低いということではありません。社会がどう受け止めるか、どういう影響力をもつかというような世俗的関心から自由であったからこそ、その作品や思索は深さと時代を超える普遍的な価値をもつものになったのだと思います。しかし時代はその業績を新たな社会構造や生活として具体化する動機や構造をもっていませんでした。

 

同じことはほぼ1世紀を隔てて同じフィレンツェを中心に生きた天文学者であり物理学者である、ガリレオ・ガリレイについても当てはまります。ガリレオは実験や観測に基づく「振り子の等時性」「落体の法則」「慣性の法則」の発見や天文学における太陽の自転や地動説の提唱など、多くの学問的業績を残し科学という学問を確立した偉大な人物です。しかしダ・ヴィンチ同様、ガリレオ発のイノベーションと呼べるものは、彼が生きた時代には存在しません。

 

学問が科学者だけ、あるいは限られた上流階級という閉ざされた世界に限定されていた時代が、古代ギリシアから産業革命の前の時代まで続いたのです。ダ・ヴィンチやガリレオの科学的な業績が後世に引き継がれて発展を遂げ、イノベーションのきっかけとなるのは、多くの人の自由なトライアンドエラーの環境が整った産業革命以後のことでした。

企業に求められるのは「試行錯誤を推奨する文化」

■「成功しなければだめ」「一度失敗したら終わり」という思考からの脱却

民間企業におけるイノベーションの促進を支える最大の要素は、包括的な組織であることです。

 

あらゆる現場にトライアンドエラーが奨励されていて、それができることが重要です。何かにつけて上司の承認を取らなければ新しいことに取り組めない、あるいは短期間で収益を出すことばかりが求められるという会社ではイノベーションは期待できません。あらゆるレベルで隅々まで自由にトライアンドエラーができることがイノベーションを引き出し、進化し続けられる会社であることにつながります。

 

さまざまなことを試せる環境とそれを認める信頼関係、成果物に対する報奨制度や失敗を許容範囲に収めるリスクマネジメントやガバナンスにより、一つの失敗が会社の経営に影響を及ぼさないように制御する仕組みも必要です。

 

アメリカでベンチャー企業が活躍するのは、厳しい資本主義市場の統制のなかにこういう風土を巧みに備えているからです。そして新たな商品やサービスの開発に成功して上場しあるいは買収されたりすれば、開発者や経営者は巨額の富を築くことができます。インセンティブに裏打ちされた自由なトライアンドエラーが保証されそれが収益に直結する仕組み自体は、イノベーションを喚起するために最重要の環境です。

 

 

太田 裕朗

早稲田大学ベンチャーズ 共同代表

 

山本 哲也

早稲田大学ベンチャーズ 共同代表

 

 

※本連載は、太田裕朗氏、山本哲也氏による共著『イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論

イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論

太田 裕朗
山本 哲也

幻冬舎メディアコンサルティング

イノベーションは一人の天才による発明ではない。 そもそもイノベーションとは何を指しているのか、いつどこで起き、どのようなプロセスをたどるのか。誕生の仕組みをひもといていく。 イノベーションを創出し、不確定な…

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