(※写真はイメージです/PIXTA)

いくら天才的な頭脳の持ち主がいて先進的な技術の種があっても、社会の仕組みが彼らのモチベーションを喚起し、トライアンドエラーへと立ち上がらせるようなものになっていない限りイノベーションは生まれません。日本がイノベーション創出に苦戦している理由として、本稿では「マニュアル化の弊害」を見ていきましょう。

 

行き過ぎた「マニュアル化」の弊害

今の日本社会がイノベーションへと進まない根拠の一つは、すでに確立した行政や組織の支配や失敗を許容しようとしない企業の体質にあるのですが、最近の日本の「仕組み化、マニュアル化」という問題点も見過ごすことができません。それが人の自由で創造的なマインドを奪っているからです。

 

例えば工場やファミリーレストランなどのような確立されたオペレーションにおけるスタッフの例が考えられます。職場では一切経験がなくても働くことができるように、サービスの提供の仕方から清掃まですべてについてマニュアルが完璧に整備されていて、それに従えば着任初日から大概のことはできるようになっています。他の業種でもアルバイトに任せているような業務はことごとくマニュアル化されています。

 

日本という国は、人間をロボットのごとくマニュアルに従わせて働かせようとします。あまりコミュニケーションをとらず、個人個人が考えなくても一定の作業ができてしまうという環境を作り出しました。マニュアル社会を世界のなかでも特異的に磨き上げたのが日本という国なのかもしれません。マニュアルさえあれば未経験のアルバイトでも仕事ができるという社会にしたのです。マニュアル社会は、単純労働作業に限らず創造性を必要とするような仕事にさえまん延しているようにみえます。

 

確かにコスト効率はよく、1955〜1972年に至る高度経済成長時代には武器だったかもしれません。しかし他方で、現場の工夫が許されない硬直した対応が生み出されることになります。クレームの発生など、現場で何か新しい問題が起こったときに対処しきれません。問題に適応するための創意工夫が一切認められていないからです。創意工夫を認めて現場の人間の判断で対応に失敗し、責任問題になることを恐れているのです。最近の大企業の不祥事もこのような背景が関係するのかもしれません。

 

マニュアルに書かれていない状況の発生は好機なのです。新たな問題提起になり、改善のトリガーになる可能性を秘めているからです。現場の人間に、マニュアル頼みではなく人間として考えトライアンドエラーする機会を提供することができます。そしてうまくいったら評価される、うまくいかなくてもそれで会社の屋台骨が揺らぐようなことがなければそれでいいわけですから、人間を人間として使うという仕事ができるのです。

 

しかし日本はマニュアルにより、自分で考えなくてもいろいろなことを効率的に実現する仕組みをつくってしまいました。当然ですがこれは変化に弱いのです。業務手順ができてしまっているところに斬新なアイデアを導入したり、デジタルトランスフォーメーション(DX)に臨もうとすると非常に大きな抵抗が生まれ、新しいことが導入できないという事態に陥ってしまうのです。

 

作業の組み合わせによる非常に効率的なシステムをつくってしまったがゆえに日本はデジタル化への抵抗力が他の国より大きく、そのために今いろいろなところで遅れが出てきているといえるのです。

業務効率化の追求には「試行錯誤」の芽を摘む危険性も

デジタルを活用した業務の効率化は、今ビジネスの世界で最重要課題の一つになっています。しかし業務効率化の追求は、トライアンドエラーの芽を摘む危険があることは意識しておくべきことです。

 

効率化への取り組みは「どこが効率化できるか」ということを業務の現場単位で検討するという形で行われるのが一般的です。業務の大きな流れを、細かな単位に分け担当者や担当部署がチェックし、効率化できるものを見つけ出します。それは「ここを人手による人力から機械に置き換えれば効率が上がる」という発見であり、部分最適と呼ぶべきものです。

 

確かにこれがいくつか集まれば、一連の工程はある程度効率化できるかもしれません。しかし部分最適を見つけて集める作業からは工程の全体を見直すという発想は生まれません。全体を見通せば、違う効率化の手法が見つかるかもしれません。そもそも効率化を考えている一連の工程そのものをなくす、という思い切った決断もできるかもしれないのです。つまり部分最適だけを追求していたら、全体を見直す視野を獲得することはできません。

 

イノベーションへとつながるトライアンドエラーは全体最適を検討するところから生まれるのであり、部分最適を実現する改良はいくら積み重ねてもイノベーションにつながることはありません。

 

トヨタがカイゼンという形で、生産現場における作業効率の向上や安全性の確保をボトムアップで実現したことは有名です。カイゼン活動は海外からも高い評価を得ました。しかし、カイゼンは局所的な最適化に陥る場合があります。

 

トライアンドエラーの促進ために必要なのは部分に注目して効率化の知恵を求めることでも、それを一般化してマニュアルを提供することでもありません。部分にこだわらず、従来の手法や考え方にもとらわれることなく、誰でも自由に取り組めるという環境をつくることです。それがイノベーションへとつながります。

失敗がなければうまくいく可能性も生まれない

業務をマニュアル化して頭を使わなくていいようにした組織からイノベーションは決して起こりません。そこではトライアンドエラーへのモチベーションが醸成されないばかりか、そもそもマニュアルを逸脱する「冒険」は禁止されているからです。日本はそこから脱却して行かなければなりません。

 

いろいろな人に現場で考えさせてトライアンドエラーさせることです。それはアップサイドに対する金銭的な報酬というだけでなく、やりがいにもつながります。

 

失敗を恐れてトライしなければ進化はありません。トライアンドエラーにおける失敗は必ずしも悪いことではなく、失敗がなければうまくいく可能性も出てきません。それは常に一体です。そして、失敗を含めたリスクをどうマネジメントするか、それを考えていくということが必要です。

 

生き残りかつ成長していくためには、リスクを取りトライアンドエラーをするしかないのです。失敗は価値があることだと認識し、失敗を恐れない。イノベーションのために大切なのは、リスクテイクとオプショナリティとトライアンドエラーです。

 

失敗を価値とする何らかの仕掛けや再挑戦の機会を与える仕組みづくりに真剣に取り組むべきです。もちろん小さなトライアンドエラーばかりではなく、大きなトライアンドエラーも必要です。ところが日本では、ここでも国が主導権を握ろうとするのです。

 

「ムーンショット型研究開発制度」というものがあります。「我が国発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する」と謳った国の大型研究プログラムです。「人々を魅了する野心的な目標(ムーンショット目標)及び構想を国が策定し(中略)各ムーンショット目標において、複数のプロジェクトを統括するプログラムディレクターを任命し、その下に国内外トップの研究者をプロジェクトマネージャーとして採択」するとしています。

 

テーマも研究者もすべて国が決めるというのです。不確定の将来をそれほど少数の人間の知恵に絞ることができるのか、はなはだ疑問です。

 

大きな挑戦であれば成功の確率は低く、より多くの数の挑戦が必要になります。そもそも未来は不確定です。政府主導で大きなテーマを絞り込むことは適切とは思えません。むしろ大学などの多くの研究者が積極的に競い、挑戦するような仕組みにすべきです。大隈重信も「自分の人生には功績よりも失敗の方が多い」という言葉を残しています。失敗を繰り返しても誰もがまた挑戦できる社会への転換が求められていると思います。

 

 

太田 裕朗

早稲田大学ベンチャーズ 共同代表

 

山本 哲也

早稲田大学ベンチャーズ 共同代表

 

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    ※本連載は、太田裕朗氏、山本哲也氏による共著『イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

    イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論

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    太田 裕朗
    山本 哲也

    幻冬舎メディアコンサルティング

    イノベーションは一人の天才による発明ではない。 そもそもイノベーションとは何を指しているのか、いつどこで起き、どのようなプロセスをたどるのか。誕生の仕組みをひもといていく。 イノベーションを創出し、不確定な…

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