明治維新を経て、近代化につき進んだ日本
イギリスの産業革命以降、イギリスを真似たアメリカが続き、そして明治維新以降の日本が経済を発展させる社会システムをつくり上げていきました。
日本はかつてイギリスの産業革命を引き継いで急速に成長した米国艦隊の脅威にさらされたとき、制度改革を断行するしかないと考えた薩摩藩や長州藩などが江戸幕府を倒して明治政府を樹立しました。
そうすることで近代化を成し遂げ近代憲法をもつアジア初の国となり、選挙で選ばれた国会と独立した司法制度をもつ立憲君主国をつくり上げたのです。このことが日本をアジア最大の産業革命の受益者にしたことは間違いありません。日本の明治維新は世界でもまれで、「利益を吸い上げる制度(extractive institution)」から「誰もが受け入れる包括的で開放的な制度(inclusive institution)」へのすばらしい体制変更でした。そして、明治から大正にかけ、多くの民間企業が創業し、まさに、国を挙げて産業発展が成し遂げられました。
このような大変革を経て今日に至る日本は確かに民主主義、資本主義の成熟国家として成功したという面はあります。しかし他方で日本ならではの特性も残しています。英米と比較すればその違いは明らかです。
現代日本がイノベーション創出に苦戦するワケ
現在の日本にはトライアンドエラーを促すような環境は貧しく、イノベーションの真のメカニズムに即した取り組みを促進するものはありません。明治維新以降に急いで列強に追いつこうとし、そして第二次世界大戦の敗北からの復興を何としても実現しなければならなかった日本は国家主導、トップダウンで物事を進める体質が色濃く残っているのです。
イノベーションはその本質に照らせば、官主導の誘導策や社会変革の補助金などの施策だけで実現するものではありません。イギリスの例にあったように、それに参加するプレイヤーが一人でも増え多くの人が自分のアイデアを試みようという社会になることこそ重要です。
アメリカやイギリスでは国家が何をどこまでやるかは明確で、そのリスクも国家がとります。そのことを明確に表明することで市民を動かし包括的に物事を進めていくのです。そして国全体が動き始めれば、民間が一気に参加してきます。
日本で新たなチャレンジがうまく運ぶというケースは大概が「民間任せ」にした場合のように思えます。しかし政府は、それを認めれば自らの非力を証明してしまうと恐れるからか、とにかく旗を振りたがるのです。明治以来の改革がおしなべて官主導であったことの名残だともいえます。
「トップダウン型のイノベ推進」からの脱却が必要
明治維新から150年以上の時間を経て今の日本の政治・社会制度が歴史的に停滞しているとすれば、それは認めがたいことかもしれません。しかしあらゆる面で既得権益は肥大しており、もっぱら利権を維持するための調整をしながら進めようとする行政だけでは、社会の進化というイノベーションを起こすことは難しいのです。現在の日本の経済・社会的な凋落と衰退をもたらしている可能性があるとすれば、行政に頼りきるような社会になりつつあるからかもしれません。
この衰退を止めるためには、行政や組織によるトップダウンの推進からの脱却が必要です。現在ある既存組織、体制に対抗しながら官主導ではない自由な学問研究、社会実装を推進しなければなりません。そしてベンチャーなどによる民間でのイノベーションを創出し続けられる社会の仕組みになるように舵を切り、それを発展させていけるかどうか――これからの日本の成長はここに大きくかかっているといえるのです。
そもそも政府はイノベーションにおいて主役になりえるはずがありません。トライアンドエラーが増える仕掛けをつくればいいのです。リスクを取りながら多くの人間が挑戦でき、仮に失敗しても、再び挑戦の機会が得られるような社会になるように促していくことが政府の役割だと思います。
現代日本の窮状をいい当てた、福沢諭吉らの指摘
明治時代の思想家である福沢諭吉は、そのことを見事にいい当てています。その言葉は、官がやるべきは場を提供することだけであるのに、まだ勘違いしているとしか思えない現状に警鐘を与えてくれます。
「西洋諸国の史類を案ずるに、商売工業の道一として政府の創造せしものなし、その本は皆中等の地位にある学者の心匠に成りしもののみ」(『学問のすゝめ』福沢諭吉著)と語る福沢は、蒸気機関はワットの発明であり、鉄道はスチーブンソンの工夫であったこと、さらに経済のあり方を示したのはアダム・スミスであって、いずれも民間の「ミドルクラス」の人間の功績だったことを明らかにしています。そして彼らが国家の官僚ではなく、また労働者階級でもなく、国の「中人」であり「智力をもって一世を指揮した」人間であったこと、民間の会社を興してその恩恵を一般の市民にもたらしたことを指摘したあと、国の役割について明確に指摘しました。
「この間に当り政府の義務は、ただその事を妨げずして適宜に行われしめ、人心の向かうところを察してこれを保護するのみ。故に文明の事を行う者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり」(前掲書)
また福沢諭吉と同時代の政治家であり早稲田大学の創立者として知られる大隈重信も、小さな政府と民間の活力による成長を主張していました。
「議会で予算を削減して生じた剰余金が、減税に回されず蓄積されているので、『政府及一種の政論家』は新事業を計画しようとし、また『民間の企業家』も政府の保護に頼ろうとしている。もし国庫に剰余金がなく増税をして新規事業をするのであれば、計画する者の責任は重く、議会も責任を負って可否を決する(が、剰余金があると使い方が放漫になる)。したがって、国庫に生じた剰余金は、ことごとく『民力休養』に向け過重の租税を軽減し、不当の租税を廃止すべきである」(『大隈重信/上・下』伊藤之雄著、中公新書)
仮に政府に剰余金があってもそれは国が使うのではなく、減税を通して「民力休養」に向けるべきであり、それが実行されれば経済は成長し国家も富むことになると指摘しています。明治時代初期に活躍した二人の言論人がそろって国は民の向かうところを保護すればよい、それが新たな成長をもたらすと言っていることは注目すべきことだと思います。
太田 裕朗
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表
山本 哲也
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表