産業革命を支えた「あるべき社会に対する哲学的考察」
イギリスにあったのは、トライアンドエラーができる政治・社会制度や環境だけではありません。当時のイギリスでは人間社会のあり方に関する哲学的な洞察が進んでいました。
1632年に生まれたイギリスの思想家、ジョン・ロックは「本来人間は理性的な存在であり、その自然状態においても、互いの所有物を尊重しあいながら生活していくことができる存在だ」と考えていました。そして「各自の所有物に関する権利を確実なものにするために社会契約を行って権利の一部を政府に委ね、もし政府が市民の意志に反した場合には、市民は抵抗して委ねた権利を取り戻すことができる」として「自由で平等な人間同士が、理性に基づいて国家をつくり上げる」という「社会契約論」を打ち出しました。これが1688年のイギリス名誉革命を支える理論となっていきます。
イギリスの産業革命を支えていたのは単なる技術的な発明と応用ではなく、人間社会に対する洞察であり、社会をいかに運営していくのかという哲学でもありました。社会の個々の成員が互いを尊重し誠実に意見を表明し、それに対して建設的な議論ができるという成熟した社会が築かれているということが欠かせなかったのです。
包括的な経済、政治・社会制度だけでなく、こうした人間社会の哲学的な理論の獲得もイノベーションの土台となりました。その点においても18世紀から19世紀にかけてのイギリスには、イノベーションという人類社会の新たな進化を起動する前提があったということができます。
イノベーションの創出には「社会制度」が不可欠
2013年に日本で刊行された『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源╱上・下』(ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン著、鬼澤 忍訳早川書房)は、世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのかと問い、その答えに従来の地理説や文化説、あるいは為政者の無知説を退け、政治・経済上の制度にあると丁寧に説いて世界的なベストセラーになった本です。
ここでアセモグルとロビンソンは、イギリス産業革命にふれてこう書いています。
「産業革命がイングランドで始まり、最も大きく前進したのは、比類のない包括的(inclusive)経済制度のたまものだ。(中略)名誉革命が所有権を強化・正当化し、金融市場を改善し、海外貿易での国家承認専売制度を弱め、産業の拡大にとっての障壁を取り除いた。名誉革命が政治システムを開放し、経済のニーズと社会の希求に応えられるようにした」
さらにアセモグルとロビンソンは、当時イギリスだけがもっていたこうした開放的な経済制度の価値を明らかにしたうえで、政治制度についても強力な絶対主義を樹立する企てが阻止されたことを指摘しています。純粋な技術そのものの進化ではなく、人間社会を運営する制度(institution)が確立しているかどうか、そこにイノベーションを生む土壌があるとアセモグルらは述べるのです。
いくら天才的な頭脳の持ち主がいて先進的な技術の種があっても、社会の仕組みが彼らのモチベーションを喚起し、トライアンドエラーへと立ち上がらせるようなものになっていない限りイノベーションは生まれません。それがイギリスにはありました。機会とインセンティブと包括的な経済、政治・社会制度があったからこそ、産業革命が起きたのです。
太田 裕朗
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表
山本 哲也
早稲田大学ベンチャーズ 共同代表