蒸気機関に似た着想・発明は「2000年前から」あった
■産業革命が起きたのは、優れた技術を「社会に広げる動き」があったから
19世紀のイギリスで産業革命が起こった理由について多くの解説書は、蒸気機関の導入による近代工業の成立が最大の原動力であると語っています。
そしてその背景に紡績機などの技術革新が進んでいたこと、植民地から膨大な富を得ていたこと、また国内に安価なエネルギー源である泥炭を大量に保有していたこと、さらに都市の勤労者がおしなべて高賃金でありそのために経営者は生産合理化の圧力を受けていたこと、などを挙げています。
確かにこれらの条件がそろっていたのは事実です。そして蒸気機関というかつてない動力機関が登場したことはイギリス産業革命の決定的な要素です。
しかし過去を振り返れば、似たような技術的な着想や発明はすでに2000年前にありました。
古代ギリシアの科学者であり数学者であるヘロンは連続的に蒸気を噴出し、その反動で自ら回転する蒸気エネルギー装置である「アイオロスの球」をつくり、デモンストレーションしたことが知られています。この回転する球に何かを接続すれば、すぐに実用的な蒸気機関になったはずです。
確かにこの時は周辺技術の要素がそろっていなかったという事実はあります。しかしその発明をみて、一気に広げていこうという動きがなかったことも事実なのです。
ところが産業革命の時代はその技術に注目が集まり、それを使ったらこういうことができそうだ、やろうじゃないかという人が多く現れました。もっと効率を上げたいとか、人件費を減らしたいとか、安全にしたいとか、いろいろなニーズ、関心があり人々を動かしたのです。
アイデアや模型レベルなら人は2000年以上も前から蒸気機関を編み出しています。しかし技術的な可能性があるということと、それを社会が活用しようと意図することの間には大きな開きがあります。技術のアイデアだけでそれが社会に広がり定着するということはありません。
ピラミッドの建築技術がイノベーションではない理由
■「一部の人間しか恩恵を得られない環境」はイノベーションを生まない
産業革命以前の社会体制はおしなべて封建的で搾取的なものであり、やや乱暴ないい方をすれば、一人の権力者がすべてを吸い上げるようなものでした。
何かを成し遂げようという野心は貴族社会の一部だけに個人的なものとして存在し、資金や自由に使える労働力などの資源もそこに集中していました。古くはエジプトのピラミッドも古代ローマの神殿や闘技場も、そして中世の王の居城もそうした条件の下でつくり上げられたのです。
逆にいえば一人の市民が志をもち、それを成し遂げる可能性は極めて小さなものでした。こういった状況では、優れた発明をしても自分の利益にはなりません。人生を賭して蒸気機関を発展させることなど誰も思いつかないのです。
確かにニュートンのように、経済的に余裕のある人間が数学や物理学という学問を発展させた歴史はあります。しかしそれが直ちに大がかりな産業革命につながることはありませんでした。
■イノベーションには「多くの参加者」と「無数の試行錯誤」が不可欠
産業革命のようなイノベーションは、全人類規模のイベントであり、それには限られた貴族や支配階級だけではなくより多くの市民の参加が必要です。ピラミッドや中世の大伽藍(だいがらん)は、大規模建築物ではあってもイノベーションではありません。その技術が生活の場面に浸透することはなく、市民の生活も物質面では何も変わっていません。
ところが18世紀から19世紀を迎える頃になると、一人の支配者が君臨し多くの人が過酷な納税を強いられるような搾取的な社会ではなくいろいろな人が共同してつくり上げ運営していく社会体制が出来上がっていきます。なかでもイギリスは、その点で世界の先頭を走っていました。それこそが産業革命というイノベーションの根拠になっていくのです。
産業革命が起こったのは、それを可能にする外部環境が整ったからにほかなりません。それは多元的で市民的な権利が守られる社会制度であり、その下で個々人がリスクをとってトライアンドエラーができるという環境です。自然の世界では生物の意思とは関係なく突然変異が一定の確率で起こりますが、人間社会は人が主導的に変化を起こさなければ、イノベーションは起こらないのです。