田中派は軍隊、福田派はサロン
■金権政治家を自認していた
それにしても、高等小学校しか出ていない田中角栄が、なぜ自民党内で頭角を現せたのか。そこで見逃せないのは、角栄の「金をつくる力」である。角栄は自力で井戸を掘ることができた。「井戸を掘る」とは、金を工面する方法を持っているということである。
自民党の総裁選には常に多額の金が動く。池田勇人や佐藤栄作の選挙資金は、すべて角栄がつくっていたと言われる。その働きがあって、角栄は池田にも佐藤にも気に入られていった。池田内閣では大蔵大臣に就任し、佐藤内閣では党幹事長になっている。
後に、私は角栄に対し、「あなたは金権政治家だと言われている。あるいは、汚れたハト派という人もいる」とぶつけたことがある。すると角栄は、こんな答え方をした。
「(「角福戦争」と言われた1972年の自民党総裁選を争った)福田赳夫は、東京帝国大学法学部卒業で大蔵省の局長にまでなっているので、政財官界に、福田が関わる団体が36もある。そしてどの団体からも金が集まってくる。しかし、僕が関係している会は2つしかない。一つは新潟県人会で、もう一つが二田小学校の同窓会だが、どちらも金にまったく縁がない。だから、井戸を自分が掘らなければならないのだ」
つまり、自分自身で金をつくるしかないということで、金権政治家になるしかない、と自認していたわけだ。
福田派出身でいろいろ波乱を起こした実力者の亀井静香が、角栄と福田赳夫との違いを次のように説明した。
「田中派は、率直に言えば軍隊だ。田中派の議員に対しては、田中さんが全員に政治資金を与えてくれるし、選挙に対しても、田中さんや直参議員たちが指導し、面倒をみてくれる。そして、当選回数を重ねれば順当に党の役員にも、大臣にもなれる。そのかわり、田中さんに忠実で、田中さんの言うことにはすべて従い、何とか田中さんの役に立とうと競う。
それに対して、福田さんは、政治資金もくれないし、選挙運動も自分自身でやらなければならない。そして、順当に党の役員になれるわけでもなく、大臣になれるわけでもない。自分が頑張らなければならない。田中派が軍隊であるのに対して、福田派はいわばサロンだ。だから力をつけると、派から離脱する政治家が少なくない」
亀井自身、後に石原慎太郎を伴って福田派を離脱している。
■どのようにして官僚の心をつかんだのか
角栄は官僚たちの面倒をよくみた。 たとえば、全省庁の課長以上の官僚の名前だけでなく、誕生日、出身地、入省年次、結婚記念日までも記憶して、結婚記念日や子どもが生まれるとお祝いを贈った。これはおそらく現金であったと考えられる。
さらに、その官僚たちが天下った政府関連の団体や企業までもすべて記憶していた。
後に、自身の派閥の後継者になった竹下登に、「お前も党人派なのだから、まずは官僚たちの誕生日や結婚記念日などを全部覚えろ」と言っていたそうだ。党人派とは、官僚出身でなく、政治家の秘書や地方議員出身者など、党内でキャリアを築いてきた叩き上げの政治家のことである。官僚出身の政治家なら最初から官僚とのパイプがあるのは当然だが、党人派はそうやって地道に官僚とのつながりを築くしかないということである。