出でよ、令和の田中角栄
■なぜ石原慎太郎は田中角栄をモデルに小説を書いたのか
2022年2月1日、石原慎太郎さんが89歳で亡くなりました。
石原さんといえば、文壇デビュー作でいきなり芥川賞を獲った『太陽の季節』をはじめ、数々の名作を執筆されてきましたが、政界引退後の2016年に発表された、田中角栄を主人公に取り上げた小説『天才』がベストセラーとなったことでも知られています。
しかし、今から50年前の田中政権の時代、石原さんは、角栄失脚のきっかけとなった立花隆さんの「田中角栄研究 その金脈と人脈」より先に、同じ『文藝春秋』で「君 国売り給うことなかれ 金権の虚妄を排す」という記事を書いて角栄の金権政治を痛烈に批判するなど、反角栄の急先鋒的人物でした。
では、そんな石原さんがなぜ、晩年に田中角栄を主人公にした小説を書いたのか。
私と石原さんは互いの主義主張がまったく異なるため、ある雑誌の対談で大げんかしたことがあります。しかし、そのことがきっかけとなって、その後も意見交換をするようになり、対談集を2冊(『勝つ日本』『日本の力』[いずれも文藝春秋刊])出すほど親しくなりました。
そんなこともあり、石原さんが『天才』を書くに当たって、1時間半ほど角栄について取材を受けたことがあります。
その際、石原さんは「今になって、田中の言ったことは全部当たっていると思うようになった。改めて田中を見直したい」と言っていました。
今思えば、石原さんも田中角栄には惹かれるものがあったのだと思います。同じ政治家の立場からは批判しても、ひとりの作家としては、魅力にあふれた人物だったのでしょう。
■「構想力」と「人的魅力」が田中角栄のすごさ
さて、連載の締め括りとして、田中角栄のすごいところを改めて振り返ってみたいと思います。
1つは連載で何度も触れてきた『日本列島改造論』に代表される構想力です。
50年前の日本は太平洋側だけ発展する一方、日本海側や中日本は取り残されていました。そこで角栄は、日本全体をひとつの都市にしようと構想をめぐらせました。具体的には全国に高速道路と新幹線を張り巡らし、各都道府県に空港をつくり、日本の4つの島を橋とトンネルで結び、日帰りでどこでも行けるようにしました。さらに原子力発電所や大企業の工場を地方に誘致することで、地元に人が残れるシステムをつくり出した。
つまり、日本国中に産業と交通のネットワークを張り巡らすことで、都市ばかりに発展が集中しないことを考えたわけです。これは、人口が増えている時代においては最適な政策だったと思います。
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