「東京で有名になりたい!」上京して夢の高校教師になった青年が、“中学”ではなく“高校”にこだわる理由

教育に燃えた20代、全力で駆け抜けた30代、何事にも野心的だった40代、学校現場と教育委員会の狭間で闘った50代、そして、肩書から解き放たれた60代。これからを担う世代へエールを込めて教師としての生き様を刻み込む!

教師を目指す

私は小学校から高校までの12年間を長野県の「信州教育」を受けて育った。そういう私にとって、教師とは特別な存在であった。「長野県は『信州教育』といって独特な教育スタイルがあり、経済・産業分野において、これといった特筆すべきものがない中で、ことさら教育にだけは力を入れていた、いわゆる『教育県』であった。それ故、教師は一目置かれ、尊敬の眼差しで見られることも多かった。そして、学校は地域社会の文化の中心を担うものとして存在していた。

 

そうした『学校』やそこで働く『教師』を、子供の頃からずっと目に焼き付けて育ってきた。だから、教職に対する思いは、“理屈”など一切関係なく、“肌で感じるもの”だった。」(「最終章/なぜ教師を目指したのか~それは理屈を超えたもの~」より)

都会の教師に憧れて

地方出身の私は、都会の教師に憧れて、東京都の教員採用試験を受験した。昭和55年の夏のことであった。“都会”、すなわち東京の教師を目指したのには、それなりの理由があった。

 

まず、東京には、日本最高峰の博物館や美術館など抜群の研修環境がある。加えて数多くの出版社があり、様々な書籍が容易に手に入る。そして専門書、参考書、問題集などの執筆に関わる機会も多い※1。いつかは自分も?……。そんな“売れっ子教師”を夢見ていた一面もあった。

 

当時の私には、とにかく“田舎教師”で一生を終わりたくないという、何か“ギラギラしたもの”を追い求めていた自分がいた。そして、内面的なものよりも、見た目、外見にこだわっていた。

 

※1:教員になってから、これまでに私自身が辞典や問題集等の書籍及び記事の執筆で関わった出版社や新聞社等は、次の通り。「三省堂」(2)、「旺文社」(2)、「山川出版社」(3)、「全教図」(1)、「日本修学旅行協会」(4)、「都政新報社」(1)、「日本教育新聞社」(1)など。※()内の数字は関わった書籍・原稿等の数。

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本記事は、20年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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