米国がリーマン・ショックを乗り切れた理由
バブルが崩壊したあと、実体経済に及ぼす大きなマイナスの影響についてですが、1990年代初めの平成バブル崩壊を受けた日本の場合、慢性デフレ不況という途方もない深刻なものでした。
アメリカは日本の失敗を教訓に、バブル崩壊後の経済停滞やデフレ不況を防ぐためにはどうすればいいかに視点を変えたわけです。この発想の変換が効力を発揮したのがリーマン・ショックです。起きたあと、FRBはどんどんドルを刷って、紙くず同然になった債券類をその刷ったドルで買い上げ、危機に陥っていた金融機関を救済しました。その結果、アメリカ経済の急降下にブレーキをかけたと評されました。
このときのFRB議長がベン・バーナンキです。彼はマネタリストで新自由主義を代表する学者ミルトン・フリードマンの信奉者です。フリードマンの寓話に則って「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言し、「ヘリコプター・ベン」と呼ばれていました。
マネタリストは「デフレのときに金融は大いに量的緩和すべきで、FRBは大いに緩和すべきだ。金融の量が物価を決める」と主張しています。それゆえ戦前の世界大恐慌のときデフレ不況がずっと続いたのは、FRBの金融引き締めという政策の失敗が最大の原因だと主張しています。
「ヘリコプターマネー」を最初に提唱したのはフリードマンですが、フリードマンの言っていることをよく読むと、「ヘリコプターでお金をばらまいても、一回だけだとお金を拾った人は皆貯め込んでしまって使わない。それでは効果がない。だから、彼らには『もっと来るぞ』と思わせないといけない」と主張しています。
またマインドの話になりますが、もっと来るんであれば、使ってもいいとなりますから。だから「ヘリコプターマネー」は二度、三度とやらねばならないのです。
結局フリードマンの「ヘリコプターマネー」は、実体経済、商品に直接訴えることになりました。一方で、いま日銀のやっている量的緩和はどんどんお金を刷って、金融市場に流し込んでいるだけです。
つまり、金融機関が持て余している資産、とくに国債、あるいは株券を買い上げて、その保有者である金融機関にキャッシュを渡しているのです。だから金融機関はキャッシュをどこかに運用しないといけなくなります。