「京ことばには、耳に流れてくる優雅さには似合わない〈毒舌針〉が仕込まれている――」京都在住60年、巧妙かつ恐ろしい言語戦略と、はんなり優雅な物腰が同居する「京都ジン」を見聞きし、体験してきた文筆家の大淵幸治氏が、本格的「京ことば」について解説します。本記事は「お気張りやす」「ぼちぼちやりなはれ」の意味を探ります。

【ぼちぼちやりなはれ】

大阪人を話題にするとき、必ずといっていいほど登場する言葉がある。

 

それは、商人たちの間で交わされる「どないだ」「ぼちぼちだ」だ。「ぼちぼち」については、『まさに勝者の余裕…厚かましい依頼を一蹴した、痛撃のひと言』でも触れたが、その場合の「ぼちぼち」は「早くしろ」(なにをグズグズしているんだ)ということであった。

 

だが、ここでのそれは「ゆっくり(慌てずに)」ということだ。

 

ことのついでにいっておくと、「ボチボチやろや」には二種類の捉え方がある。ひとつは、以前に出たそれのように「(もういい加減に)取り掛かろうや」ということであり、いまひとつは「(焦らずに)やって行こうや」ということである。

 

だが、文字に書いただけでは、そのどれであるかはわからない。

 

タネ明かしをすると、それを判別する方法は耳しかない。

 

前者のボチボチは、かなり高めに素早く発音すること。そうすれば、意図は通じる。いっぽう後者は、低音で「ボチ・ボチ」のようにゆっくりと切るようにいうと、その意味が伝わる。いわゆるピッチとイントネーションの関係だ。

 

さて、本題に戻ろう。ものごとを進めるには、慌てることが一番よくない。

 

慌てるとろくなことがない――とは、古人がさんざ身に染みて子孫に残した遺言DNAの一種でもある。こういうのをわたしは「社会的遺伝子」といっているが、意外と重宝し、今生の人生においても非常に役に立つ指標のひとつとなっている。その昔にあったCMソングではないが、「ノーンビリ行こうぜ。俺たちは」なのである。

 

…慌てて失敗しなはんな

急いてはことを仕損ずる――という俚諺がある。若い読者にも聞き覚えがあろう。

 

なにごとも焦ってはダメなのだ。京都ジンのいう「しなはれ」というのは、強制性を含んだ命令文なのではなく、「してみはったらどうどす」という勧誘文に近い。

 

そこには、相手の気持ちを理解したうえでの思いやりがある。少なくとも激励の意味で発されるそれは、京都ジン特有の嫌味やイケズの思惑は含まれていない。生き恥は曝しても、死に恥は曝したくない京都ジンである。

 

長い人生、一度や二度の失敗は付き物だ。

 

その達観が強靭な京都ジンの心性を支えてきた。真にあなたがそのひとにとって大切な人間ならば、京都ジンは必ずあなたを支えてくれる。

 

わたしのように生き急ぐのは大いに構わないが、死に急ぐのだけはやめておいたほうがいい。死後、あなたはイチビリの代表として、子々孫々にわたって語り継がれる京都村レジェンド、いや、天性のおマヌケ人間に祀り上げられることだろう。

 

そうならないためにも、決して要らざることは口にせぬこと。口を固く閉ざしてイチビった言葉は吐かぬことだ。

 

かくいうわたしは、何度か大風呂敷を広げて、京都住民の失笑を買ったことがある。

 

京の商いは、古人のいうように「牛の涎」。細く長く気長に構えて、着実にことを進めて行く。鈍いのを侮ってはならない。短兵急はトイレに行く時だけにしたい。

 

漏れる心配のない限りは、ゆっくりのんびり焦らずに行程を愉しむにかぎる。

 

大淵 幸治

 

 

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※本記事は、大淵幸治氏の著書『本当は怖い 京ことば』(リベラル社)より一部を抜粋・再編集したものです。

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