【ぼちぼちやりなはれ】
大阪人を話題にするとき、必ずといっていいほど登場する言葉がある。
それは、商人たちの間で交わされる「どないだ」「ぼちぼちだ」だ。「ぼちぼち」については、『まさに勝者の余裕…厚かましい依頼を一蹴した、痛撃のひと言』でも触れたが、その場合の「ぼちぼち」は「早くしろ」(なにをグズグズしているんだ)ということであった。
だが、ここでのそれは「ゆっくり(慌てずに)」ということだ。
ことのついでにいっておくと、「ボチボチやろや」には二種類の捉え方がある。ひとつは、以前に出たそれのように「(もういい加減に)取り掛かろうや」ということであり、いまひとつは「(焦らずに)やって行こうや」ということである。
だが、文字に書いただけでは、そのどれであるかはわからない。
タネ明かしをすると、それを判別する方法は耳しかない。
前者のボチボチは、かなり高めに素早く発音すること。そうすれば、意図は通じる。いっぽう後者は、低音で「ボチ・ボチ」のようにゆっくりと切るようにいうと、その意味が伝わる。いわゆるピッチとイントネーションの関係だ。
さて、本題に戻ろう。ものごとを進めるには、慌てることが一番よくない。
慌てるとろくなことがない――とは、古人がさんざ身に染みて子孫に残した遺言DNAの一種でもある。こういうのをわたしは「社会的遺伝子」といっているが、意外と重宝し、今生の人生においても非常に役に立つ指標のひとつとなっている。その昔にあったCMソングではないが、「ノーンビリ行こうぜ。俺たちは」なのである。
…慌てて失敗しなはんな
急いてはことを仕損ずる――という俚諺がある。若い読者にも聞き覚えがあろう。
なにごとも焦ってはダメなのだ。京都ジンのいう「しなはれ」というのは、強制性を含んだ命令文なのではなく、「してみはったらどうどす」という勧誘文に近い。
そこには、相手の気持ちを理解したうえでの思いやりがある。少なくとも激励の意味で発されるそれは、京都ジン特有の嫌味やイケズの思惑は含まれていない。生き恥は曝しても、死に恥は曝したくない京都ジンである。
長い人生、一度や二度の失敗は付き物だ。
その達観が強靭な京都ジンの心性を支えてきた。真にあなたがそのひとにとって大切な人間ならば、京都ジンは必ずあなたを支えてくれる。
わたしのように生き急ぐのは大いに構わないが、死に急ぐのだけはやめておいたほうがいい。死後、あなたはイチビリの代表として、子々孫々にわたって語り継がれる京都村レジェンド、いや、天性のおマヌケ人間に祀り上げられることだろう。
そうならないためにも、決して要らざることは口にせぬこと。口を固く閉ざしてイチビった言葉は吐かぬことだ。
かくいうわたしは、何度か大風呂敷を広げて、京都住民の失笑を買ったことがある。
京の商いは、古人のいうように「牛の涎」。細く長く気長に構えて、着実にことを進めて行く。鈍いのを侮ってはならない。短兵急はトイレに行く時だけにしたい。
漏れる心配のない限りは、ゆっくりのんびり焦らずに行程を愉しむにかぎる。
大淵 幸治
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