【お茶もださんと】
京都ジンの逆説的表現は多々あって、例の「考えとく/考えるわ」が共通語の「考えない/考えるのを止める」とイコールであるように、マイナス記号を付さなければ、その意味を取れないものが多い。
早い話、額面どおりに受け取ると、えらいメに遭う表現ということだ。
とくに京生活ビキナーに知っておいてもらいたい逆説的表現に、「ゆっくりしていかはったらよろしやん」というのがある。
字義どおりに解釈すれば、話者の善意から出た「ゆっくりしていってくださればいいじゃないですか→ゆっくりしてくださいよ」ということになるのだが、その実は「お帰りになる以上は、さっさとお帰りになってくださいましね」と同じ意なのである。
このことばが用いられるシーンは、帰りがけに多い。
大抵の京都ジンは、客が暇を告げ、帰ろうとすると、
「まあ、そない急ぎはらんと、ゆっくりしていかはったらよろしやん。お陽ィさんもまだ高いとこにありますし……」
などと慰留してくれるはずだ。
だが、この優しさがクセモノなのである。
他府県人なら、おそらくそのことばの優しさにほだされて、ついそのまま腰を落ち着けてしまうことだろう。
そのあとのことは、読者のすでにご推測のとおり。ぶぶ漬け伝説である。
…さっさと往んどくれやっしゃ
小腹が空きましたやろ。お茶漬けなと、どうどす――と勧められ、ひとのいいあなたは、お茶漬け程度なら、遠慮しなくてもいいだろう。こんなに熱心に勧めてくれていることだし――と勝手に解釈し、その申し出をありがたく承諾する。
そして暫く経って、あなたの座る食卓の前に届けられたのは粗末な京のぶぶ漬けならぬ、仕出し屋からとった立派な懐石弁当であることに気づく。
その結果、どうなるかというと、世間知らずの烙印を押され、二度と優しい言葉をかけてもらえなくなるのである。
では、こういう場合、どういえばいいのであろうか。答えは簡単である。
いや、〇〇はん。これから行かんならんとこがありまっさかい、これで失礼しますわ。おやかまっさんでした――と辞退すればいいのである。そうすると相手はいかにも申しわけなさそうな顔をして。そうどすかー。いやー、お茶もださんと。はしぢかなとこですんまへんでした。また寄っとくれやす――とにこにこ顔でいってくれるはずだ。
すべてお愛想の類いとはいえ、さよならひとついうにも京都ジンはこれだけの心づくしを行うのである。はしぢかとは端に近いの意で、上がり框や玄関口を指す。
読者が框に座ることを勧められれば、まずお茶は出ないものと覚悟しなければならない。そこは、お茶は出しまへんけどよろしく、という場所なのである。
歯が出ていることで有名な人気お笑い芸人がいっていた別れの言葉――。
すんまへんなー、茶ァも出さんと歯ァばっかり出して。チャンチャン、っと。
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