【あいそないな】
俗に、自惚れとカサブタのないものはいない――という。
ご多分に漏れず、わたしもそのクチで自分が結構、イケてると自惚れていた時代がある。もちろん若い時分の話だが、たまたま車で同道した同僚にふとしたことがきっかけで、わたしの顔の話が出た。
その君によると、わたしの顔は「イカつい」というのだ。
その当時、この言葉を初めて聞いたわたしは、それを「強面の顔」と釈(と)った。こわもての顔といえば、その筋のひとの顔だ。当然、自分を「優男」だと信じ込んでいたわたしには意外というほかない。思わず、そんなアホな――と、カチンときてしまった。
なぜこんな話になったのかといえば、その車はわたしのもので、いつもは助手席に家内を乗せて走っていた車だった。そしてその助手席の前のダッシュボードには小さなバックミラーがあって、わたしの顔が映るようになっていた。
それを見て、なるほど、奥さんの気持ちがよくわかる――と彼がいったのだ。
実際、家内のどんな気持ちがわかったのかはわからないが、そこから見えるわたしの顔が、彼には「いかつく」見えたらしい。いまにして思えば、彼にはわたしの思ったようなマイナスのイメージはなかったのかもしれない。
ちょっと調べてみると、「イカつい」の当て字は「厳か」の厳を使って「厳つい」とやるらしい。つまりは、仏頂面というか、悪く言えば「愛想もなければ可愛くもない顔」ということになろうか。その筋系のそれとは「無関係」の顔立ちだったのである。
…可愛ないわ
男は度胸、女は愛嬌――という俚諺(ことわざ)がある。「厳つい顔」というのは京口語でいうと、愛嬌がないのである。
愛嬌がないから可愛くない。可愛くないから、皆から敬遠される。敬遠されるから、仏頂面になる――と、そういう訳だ。やはりひとに愛されようと思えば、笑顔が一番。愛想を振り撒く必要はないが、せめて笑顔だけは絶やさないように――。
と、そう思ってか、京都ジンはひとの話を聞いていても、ひとつも表情を変えず、仏頂面のままの人間には、「なんや、あんた。あいそないな。ひとの話聞いてんのかいな」と怒ることになる。しかし、あいそなしというのは、単に相手の態度が高慢だという意味だけでなく、自分自身がそうであることを詫びる場合にも用いることがある。
たとえば、来客があっても、忙しくてまともに相手ができなかったときなどに「すんまへんなぁ、あいそなしで。もうちょっと時間あったらよかったんどすけどなぁ」とお愛想をいって詫びるのである。
近所に「喜ばれることに喜びを」というのをモットーにし、見返りを期待しないと自慢する奥さんがいた。
それだけにわが家ではお返しはしないようにしていたのだが、ある日のこと、その奥さんがプリプリ怒って、わが家にやってきていうのだった。
私が旅行したときは、必ずお土産あげてんのに、塩尻さんとこからは一回もないのんえ。この間、旅行しはったいうのになぁ。ほんま、あいそなしやわ。
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