「なんや、あんた。あいそないな。ひとの話聞いてんのかいな」【本当は怖い京ことば】

「京ことばには、耳に流れてくる優雅さには似合わない〈毒舌針〉が仕込まれている――」京都在住60年、巧妙かつ恐ろしい言語戦略と、はんなり優雅な物腰が同居する「京都ジン」を見聞きし、体験してきた文筆家の大淵幸治氏が、本格的「京ことば」について解説します。本記事は「あいそないな」「そんなアホな」の意味を探ります。

【あいそないな】

俗に、自惚れとカサブタのないものはいない――という。

 

ご多分に漏れず、わたしもそのクチで自分が結構、イケてると自惚れていた時代がある。もちろん若い時分の話だが、たまたま車で同道した同僚にふとしたことがきっかけで、わたしの顔の話が出た。

 

その君によると、わたしの顔は「イカつい」というのだ。

 

その当時、この言葉を初めて聞いたわたしは、それを「強面の顔」と釈(と)った。こわもての顔といえば、その筋のひとの顔だ。当然、自分を「優男」だと信じ込んでいたわたしには意外というほかない。思わず、そんなアホな――と、カチンときてしまった。

 

なぜこんな話になったのかといえば、その車はわたしのもので、いつもは助手席に家内を乗せて走っていた車だった。そしてその助手席の前のダッシュボードには小さなバックミラーがあって、わたしの顔が映るようになっていた。

 

それを見て、なるほど、奥さんの気持ちがよくわかる――と彼がいったのだ。

 

実際、家内のどんな気持ちがわかったのかはわからないが、そこから見えるわたしの顔が、彼には「いかつく」見えたらしい。いまにして思えば、彼にはわたしの思ったようなマイナスのイメージはなかったのかもしれない。

 

ちょっと調べてみると、「イカつい」の当て字は「厳か」の厳を使って「厳つい」とやるらしい。つまりは、仏頂面というか、悪く言えば「愛想もなければ可愛くもない顔」ということになろうか。その筋系のそれとは「無関係」の顔立ちだったのである。

 

…可愛ないわ

男は度胸、女は愛嬌――という俚諺(ことわざ)がある。「厳つい顔」というのは京口語でいうと、愛嬌がないのである。

 

愛嬌がないから可愛くない。可愛くないから、皆から敬遠される。敬遠されるから、仏頂面になる――と、そういう訳だ。やはりひとに愛されようと思えば、笑顔が一番。愛想を振り撒く必要はないが、せめて笑顔だけは絶やさないように――。

 

と、そう思ってか、京都ジンはひとの話を聞いていても、ひとつも表情を変えず、仏頂面のままの人間には、「なんや、あんた。あいそないな。ひとの話聞いてんのかいな」と怒ることになる。しかし、あいそなしというのは、単に相手の態度が高慢だという意味だけでなく、自分自身がそうであることを詫びる場合にも用いることがある。

 

たとえば、来客があっても、忙しくてまともに相手ができなかったときなどに「すんまへんなぁ、あいそなしで。もうちょっと時間あったらよかったんどすけどなぁ」とお愛想をいって詫びるのである。

 

近所に「喜ばれることに喜びを」というのをモットーにし、見返りを期待しないと自慢する奥さんがいた。

 

それだけにわが家ではお返しはしないようにしていたのだが、ある日のこと、その奥さんがプリプリ怒って、わが家にやってきていうのだった。

 

私が旅行したときは、必ずお土産あげてんのに、塩尻さんとこからは一回もないのんえ。この間、旅行しはったいうのになぁ。ほんま、あいそなしやわ。

 

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富山の山奥に産し、京は西陣の上七軒にて生長。立命館大文卒。コピーライターや編集者としての経験をもとに80年代後半から唱え始めた〈意匠ことば学〉の見地から京都ジンの言語生理を読み解く。京に住いすること半世紀以上に及ぶ「非」京都人としてユニークな京都人論、京ことば論を唱える。2000年に上梓された『丁寧なほどおそろしい「京ことば」の人間関係学』は京都本ブームの先駆けとなった。

著書に『国彩化時代のニホンゴ』『気の弱いひとのエーゴ』『京都文化ジン類学』『ハダカの京都解体新書』などがある。

著者紹介

連載「おうち、面白いひとどすな」本当は怖い、京ことば

※本記事は、大淵幸治氏の著書『本当は怖い 京ことば』(リベラル社)より一部を抜粋・再編集したものです。

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