自然の「結界」を破った人類の運命
私たちは目下、新型コロナウイルスというカオスが放った使徒と戦っている。
カオスとは自然の一つの側面である予測不能の世界をいい、形や構造の生じぬ、死の予感をさせるところのものである。自然はしかし生きとし生けるものを生み出す場も有している。そこをカオスの縁といい、免疫のような境界の働きでカオスと対峙しながら生けるものを生み出す場である。人類もまたそこに生まれそこに住まうべき存在である。
しかし、カオスの縁は刻刻変化しそこに住まうことは容易ではない。ある時から、人類は過剰ともいえる豊かさを手に入れ、いつの間にか、どこかにより心地良い場があると錯覚し始めた。それは、知らず、カオスの縁からカオスの中に落ち込み始めているのではないか。コロナウイルスはそのことへの自然からの警告なのではないか。
結局のところ、この疫病に収束をもたらすのは免疫力であろう。ここでいう免疫力とは人個々の免疫力だけでなく、文明自体の免疫力をもいう。人類は豊かさと引き換えに、この二つの免疫力を失いつつあるのではないか。
人の免疫力は、身体と外なる自然とのダイナミックな交流を通して形作られる。したがって、外なる自然から切り離し、文明というオブラートで包むことでは強化は難しい。
温暖化もいとわず、効率化と快適さを求め、表面的な自然との調和をうたいつつ、実際は人と自然との乖離は広がり、人の免疫力は下がりだしている。ただ、文明が生んだ科学というスキルが免疫力の肩代わりになると思い込みだしている。
しかし、その頼みの文明はコロナの侵入を防ぐ境界としては全く働かず、むしろコロナウイルスの拡散を加速した。地球の裏側に一日で行くためには、ハイテクを駆使した情報手段と航空機が必要であるが、それは自然が設けた海や山という境界を飛び越えるということである。コロナはそれに乗じた。あたかも文明がコロナのために、自然の境界を破っておいたとすら見えよう。
仏教や神道には結界という言葉がある。結界とは、聖なる場所と魑魅魍魎が跳梁する世界を分かつ境界のようなもので、半端な心掛けで、みだりに破ってはならぬものである。すなわち、自然には破ってはならない境界「結界」なるものがあることを意味してもいる。例えば、共食いを禁ずるような働きもその一つである。
しかし、人間は、さばいて残った牛の骨を粉末にして、牛の餌に混ぜるとミルクの出がよくなるという、効率重視の考えで、草食動物の牛に自分の仲間を食わせるという共食いをさせた。おかげで、自然には起こらない狂牛病を蔓延させた。
これも自然が設けている「結界」を破ったことが原因である。エイズもアフリカのローカルな風土病が、アフリカ大陸を縦横に走る道路により、ジャングルや森という境界「結界」が破られたことにより、蔓延したとされている(日本のゼネコンも道路づくりに関与していたとされるが、過激派もこの道路を使って出没し、殺戮を重ねている)。
ある90過ぎた女性がいた。彼女は山奥の急斜面にできた段々畑で野菜を作っている。耕すに機械は使えない。ひたすら、手足を動かし、日が昇ったら起き、沈んだら眠る。夫は20年前に亡くなり、子供は都会に出て戻らず、腰は曲がってはいる。
しかし、彼女の免疫力は強靱で、認知症にもならず、これまで一度も死にたいと思ったこともない。彼女は確かにカオスの縁を生きている。
遠山 高史
精神臨床医
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