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銀行の利子を基準にして貸出金利が定着
■利子、利息、金利とは?
経済やお金の話がなされる際、「利子」「利息」「金利」という言葉が出てきますが、それぞれどういうものなのでしょうか。
まず「利子」は『広辞苑』では〈債務者が貨幣使用料として債権者に一定の割合で支払う金銭。〉とされています。簡単な言い方をすると、「お金を借りた際に支払う代金」という感じでしょうか。
一方「利息」は『広辞苑』で〈他人に金銭を使用させたものが、一定の割合で定期に受ける報酬。〉とされています。こちらは「お金を貸した際に受け取る代金」といえるでしょう。つまり「利子」と「利息」は同じことで、「利子」は借り手側の、「利息」は貸し手側の言葉です。対象になっているお金をめぐる立場の違いによって使い分けられているというわけです。
次に「金利」ですが、『広辞苑』には以下のように記されています。
〈資金を一定期間貸したことに対して支払われる報酬。利子。また、利子額の元金に対する割合。〉
「利子」や「利息」は金額そのものを指しますが、金利は割合を示しているのです。例えば、100万円を金利(年率)1%で借り、1年後に返済を終えた場合、借りた元金の100万円とともに利子1万円を支払うことになります。
古来なぜ利息を取るのでしょうか? 貨幣が生まれてこの方、当然のように、どういう屁理屈がつこうと、利息はついているわけです。考えてみればよく「先立つものがないと……」と言いますが、先立つもの、つまりお金がないと新しいことを始めるのは困難です。
その困難を解消してくれるものを他者から調達するわけですから、その対価を支払うのは当然とも言えるのではないでしょうか?
ちなみにいわゆるイスラム世界には利息はありません。全知全能の唯一絶対神アッラーは利息を取ることを許していないからです。
利子がつくというのは借金の話、借入のほうです。それに対してお金を持っている人や組織がそれを使わずにいた場合、例えば銀行に預ければ利息がつきます。これは銀行という制度がかなり普及してからの話です。そうなると銀行の利子を基準にして、貸出金利という考え方が定着してきます。自らの手元にあるお金を預ける代わりに利息を取るということです。
あるいは金融市場が発達してくると、その金融市場でお金が取引されるわけです。例えば国債や地方債、社債です。
この場合、債券を発行するときにすでに金利(表面利率といいます)がついているわけです。表面利率というのは、債券に記載されている利率のことで、債券の額面金額に対して毎年支払われる利息の割合を意味します。例えば、債券の額面金額が100万円で、1年間で1万円の利息が受け取れる場合の表面利率は1%となります。
この金利がいろいろ変動するというのは、要するに元本の価格が需要と供給によって変わるからです。支払う利子そのものの絶対額は変わりませんから。つまり元本の価格、相場が変わるから、利子を元本で割った率=金利が変動するということです。
そもそも利子とは何かというと、これは「お金の値段」だということです。お金を貸すというのは、貸し手が手元から、その使用権を借り手に譲渡するわけです。その対価即ち「お金の値段」が利子です。
それからもうひとつ、利子というインセンティブが存在しないと、お金を持っている人たちは皆、それを手元にキープしてしまうでしょう。例外的に「じゃあ、これ、貸してあげる。無利子だよ」という話になっても、相手はだいたい親子や親族に限られます。たとえ友人であろうと、世話になった人であろうと、お金を貸すことでその使用権を手放すということになれば、実際には対価がないと難しい。借り手のほうも「利子を払いますから、お願いします」となるのが普通でしょう。