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終電の席を奪ったゲーム青年
終電に近い電車に乗った時のことである。家に着く頃には零時を回るであろう。それでも結構な混みようであった。空いた吊り革を摑むと、座席の上で反り返り、あんぐり口を開けて眠る若い娘の前に立つことになった。
ケータイが手からずり落ちそうだが、迂闊に女性の体に触れられないので、カバンの端で押し戻したところ、娘は目を覚ました。ふとこちらと目が合った途端、ガバッと立ち上がり、私に席を譲ろうとした。くたびれ果てた表情だ。
私は丁重に断ったが、驚いたのはこのやり取りのわずかな間、一瞬空いた座席に、傍に立っていた若い男がさっと座り、すぐさまゲームに耽りだしたことである。くたびれていても、なおも年寄りに席を譲ろうとした娘と老人を一顧だにせず、隙を突いて座った彼も、同じくくたびれていたのであろうか。私と目を合わせることはなく、俯いてケータイを操作し続けていた。
若者を雇用すると10人のうち7人が数年以内に辞めてしまう、とある事業主が嘆いていた。最近の若者はどこかひ弱なタイプと過剰に真面目なタイプがいて、ひ弱なタイプはこまめな動きが苦手で性格が過敏であることが多く、叱責されただけで出勤してこなくなったりするという。
過剰に真面目なタイプは必要な事柄の重みづけが苦手で、網羅的にやろうとするので徒に労働時間が延び、疲れ果ててしまいやすいようである。
もちろん少々怒鳴られてもへこたれず、ストレートばかり投げるのではなく、わざと力を抜いたボール球を投げて空振りを取れるタフで器用な若者もいるが、あまり多くないと思える。だからこそ、世の親たちは、自分の子が受験の勝者になれば人生のアドバンテージが得られると考え、小さい頃から習い事や塾通いをさせるのだろう。
とはいえ、試験勉強では、想定外の事象への適応能力は育ちにくい。言い換えれば、学校教育というレールに乗って、答えが必ず想定の範囲にある「試験というゲーム」に勝ち抜いてきた人ほど、想定されない事象に満ちた社会に出た途端、自分で答えを出せず、途方に暮れ、失調しやすくなるということである。
いずれにせよ、若い男女の立ち居振る舞いが、今時の若者の危うさを物語っているように思えてならない。席を奪った青年は、行き詰まって失職でもすれば、反社会的傾向を帯びやすくなるかもしれない。若い女性は、消耗し切ると自殺衝動が起きやすくなるかもしれない。
それに引き換え、私を含め老人たちは、かなり元気である。膨大に費やされる老人の医療費の額を見ても、その恩恵を受けている老人たちが元気でないほうがおかしいのだ。観光地の行く先々で出会うのは、結構な額の年金で暮らす人たちである。自分たちも負担してきたのだから当然の権利だというのかもしれないが、すでに老人たちの福利を支えるために、見えざる負担が若者にかかり始めているのではないか。
古い個体が長生きすると若い個体がひ弱になりやすいことは、生物学的にはよく観察されることである。私は若者に席を譲られたら断ることにしているが、おかげで徒に席を失った件の娘は悔しさをにじませ「せっかくお譲りしたのになぜ断ったのですか」と、食い下がってきた。
「男の子はレディーを立たせたりはしないものさ」と、座っている青年に聞こえるようオールドボーイは言ったけれど聞こえただろうか。